日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

キャンティ物語 1994年 野地秩嘉 幻冬舎

加賀まりこの「とんがって本気」を図書館で借りようとしてまずアマゾンで検索した。

どんな内容か知りたかったので。そこでお勧めとして出て来たのが「キャンティ物語」

加賀まりこキャンティに行っていたのはずいぶん前から知っていた。(何かで読んだか)

面白そうだったので図書館のサイトで検索するとあった。

一緒に借りた。

 

去年の夏に高峰秀子のエッセイに感動し、すっかり高峰秀子ファンになった私は、

彼女の永坂の家に行ってみた。

ネットでも写真があったし、すぐわかった。

永坂更科の工場がある上り坂を登って、「ここが斉藤明美氏が言っていた(高峰秀子の捨てられない荷物)高峰秀子が買い物帰りのスーパーの袋をぶら下げて登っていた坂なんだ!」と思い、さらにその時の風景を勝手に想像し(さすがに斉藤明美氏は文章がうまい)右へ曲がった角にそびえ立つ高峰秀子邸をみて、そこから坂を下って飯倉片町(今はそういわないらしい)へでる。キャンティのことを思い出してチーズケーキとプリンを買った。

 

昔は12時過ぎまでやっていたので真夜中に車で(たまに)チーズケーキを買いに行った。当時の飯倉は真っ暗だった 笑。

飯倉の交差点の角に外国人(ロシヤ人?)のお医者さんのクリニックがあったけど、すでに取り壊されていた。

キャンティの並びにあった美容室に通っていたこともあって、田中親という人がやっていた。その美容室があったビルはまだあったけど、なにやらおしゃれな場所になっていて、外にイスとテーブルがあったからカフェかなんかか。

そういえば六本木の交差点の近くに輸入レコード屋のウィナーズがあって(一階は薬局だった)よく日曜日に車で行った。当時の六本木、日曜日の昼間なんて人もいなかったし、車も外苑東通りはまばらで車をウィナーズのビルの前に停めて買い物ができた。

いまでは信じられない(笑。

ケーキといったらクローバーだったけど、もうなくなっていた。

がんばっているのはアマンドくらいか。そのアマンドも建て替えしてた。

 

チーズケーキを何十年ぶりに食べたけれど、これだったっけ?と思った。

多分変わっていないのだろうけど、昔はもっとおいしかった記憶がある。

チーズケーキと言えば焼いたチーズケーキしかなかった頃はキャンティくらいしか

あーいったチーズケーキはなかった。

そのあと、トップスのチーズケーキになってキャンティには行かなくなった。

昔はトップスアンドサクソンと言ったような気がする。

赤坂のTBSのビルが最初のお店じゃないのかなぁ・・。

 

そうそう、でキャンティ物語。川添氏の生い立ちや梶子さんのこと、おもしろかった。

川添氏は華族の出身で平民の私には想像もできない暮らしだったんでしょうね。

本には写真が数枚添えられていた。

キャンティの外見は昔のまんま。

 

で、加賀まりこの「とんがって本気」はまぁ普通だった。

24歳の時の舞台が大成功だったことはしつこく書いてあったけど、私の認識の加賀まりこは「月曜日のユカ」「乾いた花」「泥の河」「麻雀放浪記」くらい。

だから加賀まりこってどうやって食べてたんだろう?と思っていたけど、舞台やテレビにも出演していたんだね。

ビックリしたのは加賀まりこ木下恵介の映画に出で、木下先生はお漬物が嫌いと書いてあったこと。その弟子である松山善三氏もお漬物が嫌いで、そのことが高峰秀子、斉藤明美氏のエッセイで語られている。

ということは師匠も弟子もお漬物が嫌いだったのだ。

 

キャンティじゃなく、また高峰秀子邸へ行ってみたくなった。

(といっても外から眺めるだけだけど)