日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

木石 1940年 松竹大船

監督 五所平之助 原作 舟橋聖一 脚本 伏見晃

出演 夏川大二郎 赤木蘭子 小暮実千代 河村黎吉 小林十九二

   坂本武 田村文子 出雲八重子 寺門修

伝染病の研究助手をしている赤木蘭子は、その病院の医師、夏川に「木石」のような女性だと言われている。夏川大二郎はその研究医師。

木石・・・情を解さない、人間らしい感情のないものの例えだそうだ。

病院の看護婦たちからも煙たがられている。

40を過ぎてオールドミスと言われる赤木には娘があることがわかる。

それが小暮実千代。日頃から良く思っていない医師、河村黎吉は、詰め所で

あの娘は有島(教授)との間の隠し子だと言われる。

赤木は、その有島教授のもとで助手をしていた。そしてとても尊敬しているのがわかる。(ただし、有島教授は写真とか銅像でしかでてこない)

ある日、赤木の娘、襟子(小暮実千代)が働きたいと言い出す。それで自分の研究室に連れていく。

医師には評判が良いが、看護婦は気にくわないようだ。

 

有島教授が亡くなり、所長室に呼ばれた赤木は所長(坂本武)から教授の家に行くように言われる。

 

夏川と木暮が楽しそうに話したりすると、赤木は話してはいけないなどという。

悲しむ襟子。

そんなある日、夏川のアパートに木暮がここにおいてくださいと訪ねる。訳を聞くと

夏川のことで母(赤木)に折檻されたという。

夏川は事情をききに赤木の家に行くと、赤木は、娘、襟子は自分の子供ではなくて

有島教授と(誰か)の落としだねで、自分が引き取って育てた、でもこれは誰にも言わないでほしいという。

この辺、音声がひどくて何をいっているのかほとんど聞き取れず。

自分は有島先生に憧れたが、襟子がまた自分と同じように夏川に憧れているのが

うんぬん・・・。

 

ある日、赤木がモルモットに指をかまれてしまう。

それが原因で死ぬのだが、病室で「私は処女です。」と最後に言って死ぬ。

それをたまたま同室にいた同僚医師(多分 寺門修)に聞かれてしまうが、

後で事情は話すから・・・という場面がある。

その後、晴れた青空の下、夏川と木暮が山へ。

そこで木暮が(小暮は自分の事情は一切知らない)「おかぁさーん」。

二人は多分一緒になるだろう・・・でエンド。

 

娘の襟子が、医師の夏川と仲良くしていれば、私なら父親のいない家庭には願ってもいないことだからなんとか一緒にさせようと(笑、画策する(笑。

それが赤木は引き離そう、引き離そうとするのが

え?

だった。聞き取れない部分でなんか言ってたのかもしれない。

例えば、時代が時代だったから母子家庭の娘と医者の結婚なんて許されないだろうから

娘が遊ばれて捨てられるだろうと思ったとか。

 

赤木蘭子、1914年生まれ。だからこの映画では26歳で40過ぎた役を演じている。

当初、娘役は高峰三枝子だったが、病気のため木暮が演じた。これで木暮が一気に有名になったという。1918年生まれで22歳。

たった4歳違いで母を演じた赤木蘭子。でも、40過ぎの役はぴったりだった。