日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

処刑の部屋 1956年 大映

監督 市川崑 原作 石原慎太郎 脚本 和田夏十 長谷部慶次

出演 川口浩 若尾文子 宮口精二 岸輝子 中村伸郎 川崎敬三 入江洋佑

   梅若正義 小高尊 平田守

 

なんだか重くて暗い映画でした。

なんといっても衝撃だったのは、川口浩と大学の友人でお金持ちの息が、女子大生の若尾文子とその友人を誘い、ビールに睡眠薬をいれたものを飲ませ、暴行するというところ。今でもそんな事件が起こっているし、何年か前のスーフリ事件を思い出しました。

wikiによるとこの映画の上映後、これを模した事件が各地で起こったそうです。

石原慎太郎の小説ですが、薬物で女性を昏睡させて暴行するのはこの石原慎太郎の思い付きだけではなくてそのずいぶん前から行われていたのではないでしょうか。

女性が声をあげられるようになったのはつい最近ですし、それでもすべての女性が声をあげていることはないと思います。まして1950年代、あるいはそれ以前においては言わずともわかります。

見ていて腹立たしかったです。

 

太陽族の映画とありますが、当初主役は原作者の石原慎太郎の要望で石原裕次郎を想定した映画だそうで、実際大映で面接を行い決まりかけましたが、「狂った果実」の主演が決まったのでそのことはうやむやになったと市川崑監督が語ったそうです。

 

それにしても・・・暴行された若尾と友人をタクシーに乗せ、車中川口浩の友人が

「喫茶店でも行く?」と尋ねます。若尾の友人は泣きじゃくり、とにかく家へ帰りたいと言います。少しすると川口浩の友人が、煙草を買うためにタクシーを降り、小銭がないと言って川口浩もタクシーから降ります。そして二人で猛ダッシュで女性をタクシーに置き去りにして逃げる場面がありますが、この「喫茶店に行く?」のセリフも合意の上でのことにするため?なのかと考えてしましました。

その後二人で逃走するからそこまで考えて言ったことではない感じですが、スーフリの事件ではこのような行為で合意の上と見せかけたり、同性の女性を使って事件を隠蔽していた・・・ことを思い出しました。

 

小説を読んだことがないので映画だけではなんだかよくわからない場面もありました。

 

ところで川口浩の学友のひとり、平田守は若尾文子に好意を寄せていたのですが、川口浩から暴行したことを告げられます。

ところがなにもできない・・・なにもできないけれど・・・の場面は現実的で良かったです。

若尾文子は本当の女子大生のように可憐でした。

お化粧や洋服、髪形って重要なんですね。赤線地帯と同じ年に公開ですが全く様子が違います。