日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

女は二度生まれる  1961年 大映

監督 川島雄三  脚本 井出俊郎 川島雄三 原作 富田常雄

出演 若尾文子 山村聰 フランキー堺 村田知栄子 潮万太郎 藤巻潤 山茶花究

   高見国一 山岡久乃 倉田マユミ 江波杏子 中条静夫 菅原道済 八潮悠子

 

DVDを購入した作品です。 靖国神社裏の置屋にすむ若尾文子は俗にいう枕芸者なんだけれど、よく

会う大学生、藤巻潤に思いを寄せる。

しかし、藤巻は大学を卒業しそれきりとなる。

ある晩、座敷に呼ばれるとそこに寿司職人であるフランキー堺の相手となり一晩共にする。そこでフランキーは自分はせいぜい赤線どまりで、こんな芸者買いはできない。将来は自分の店を持ちたいけれど、場末になるだろうなぁ・・なんてことを言う。

それを聞いた小えん(若尾文子)、なんとなくフランキーに惹かれる。

お客のひとり、パパさん(山茶花究)と熱海?なんかに出かけるが、ある日、パパさんとデートの終わりに、新橋のフランキーが勤めている寿司屋へ行きたいとねだる。

 

寿司屋でのフランキーは冷たかったが、なんとかお酉様へ一緒に行き、帰りは宿屋へ。

 

ある日、置屋の女将、村田知栄子と若尾文子は売春で警察へ呼ばれる。

仕事を禁止されて若尾は芸者から足を洗って銀座のバーへ勤めている友達、八潮悠子のいるバーへ勤めると、そこには一度寝たことのある山村聰工務店のおやじ、潮万太郎をつれてきていた。

 

山村は建築士で若尾を渋谷のアパートに囲う。しかし風呂もない一間のアパート。

 

ある日、若尾は映画に行くと、入り口で若い男の子が相手がこないから切符を買ってくれという。少年は月島の工員で17歳だという。彼が若尾の職業をあれこれ詮索するが、若尾はそんなことどうでもいいじゃないという。

別の日、その工員こうちゃんと会った若尾は蒲田の宿やで食事をし、そのままこれっきりよと言って関係をもつ。

アパートに帰ると山村が待っていて、その日の一件を潮万太郎から聞いたといい、カバンからドスを畳に突き立ててもしまたこんなことをしたら生かしておかないという。

若尾は心から謝り、その後長唄?を習う。お披露目の日、潮から電話があり、山村が血を吐いて倒れたと聞く。

妻子が来ない合間をぬって若尾は病院へ行く。その道すがら新橋の寿司屋により、山村へ差し入れる寿司折を作ってもらうが、フランキーの姿がない。

どうしたのかと同僚の中条静夫に聞くと、やつは信州のワサビ農家の子持ちで出戻りのところへ婿へ行ったと聞かされる。

ふーんという小えん。

 

一時元気になるかと思われた山村はあっけなく死んでしまう。

 

映画館のベンチでひとり座っていると、こうちゃんが女の子と横切る。声をかけると

さっき知り合ったばかりだから関係ないよと言い、女の子がトイレに行っている間に若尾の提案で信州へ行く。こうちゃんが前に山へ行きたいと言っていたからだ。

松本から乗った車中で、子連れで奥さんと乗ってきたフランキー。お互いわかるが

知らんふり。隣のこうちゃんが知っている人?と呑気に聞く。

 

そして貴重な映像。今はない島々駅がうつっている。駅舎も貴重な映像で、この地でロケをしたのはなにか意味があったのだろうか。

若尾はこうちゃんに、あんた一人で行きなさい、私は信州のおじさんのとこへ行くからと言い、山で時計は必要だし、もしお金が足りなかったら売ってもいいからと今は形見となった山村から買ってもらった腕時計をあげてしまう。

 

バスが出発し、駅にひとりとなった若尾。次の電車は何時だろうと時刻表の前に立ち、ふと腕時計に目をやる・・・しかし、腕時計はあげてしまった。その時の表情がいい。

駅でひとり座っている若尾。そして映画が終わる。

 

小えんにとって山村もフランキーも真面目に愛した男だが、その男たちは昼の顔がある。無邪気なこうちゃんだけが裏表がないけれど、、、

小えんはこれからおじさんのところへ帰って違う人生を歩むのだろうか。

 

ところでこの映画は「小えん日記」という富田常雄の小説から映画化されたが是非読んでみたい。「洲崎パラダイス赤信号」でもそうだったが、原作をベースにしながらしかし、かなり違えた脚本だと思うからだ。

だけれど・・・ないっ!(笑。 この富田常雄という人、姿三四郎で有名な小説家らしいが、川島監督の「とんかつ大将」も彼の小説が原作で題名も同じ。

姿三四郎はたくさん売っているけれど、小えん日記は絶版のまま。