日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

マスコミについて

新型コロナに関しては書くのをやめようと思っていた。思う事はたくさんあったけれど、テレビで、ネットで、世間で、こうコロナコロナでは気が滅入る。

そもそもテレビの報道番組やらワイドショーなどは、スポンサーあってのものであり、

それは視聴率に繋がる。要するにインパクトのある、誰もが驚くような、そんな映像を流すことはコロナ以前からの常套手段だ。

トイレットペーパーを取りあう人々の海外の映像、外出したからと鞭で叩かれるインド人、スーパーの行列、空になった棚、渋谷で若者をつかまえてなんとか反抗的なこという人を探し、中小企業の経営者には困ったと言わせ(困っていそうなところへ行く)、もちろん居酒屋店主のインタビューも忘れず(当然困っている)、そして私達には外出するなと言う。(え)

番組を作る側に立てば、やはり脚本があり(脚本とは言わないだろうが)、このような流れの報道をしようと会議は行われているはずだ。

それは視聴者が見たいと望んでいる、望みそうなことを忖度しているとしか思えない。

そこでは例えば「若者は感染しても軽いっていってるしぃ」なんていう子のインタビューは放映するが、(みなさんこんな子がいますよ!けしからんですね!狙い?)「感染には気をつけて友達とは会ってません」なんていう人のは流さない(笑。

 

「人間蒸発」の今村昌平の言葉を思い出すと、私はいいタイミングでこの「人間蒸発」

を見たなと思った。

 

テレビ朝日のアナウンサーが新型コロナ陽性だったと伝えられたが、

ここで笑ったのは(あきれた)それまで散々自分たちが新型コロナに感染した人達の話や、医者、学者を呼んで報道していたはずなのに、いざ自分に発熱があったのに下がったからと言って番組の出演をしていたことだ。

 

以下、NHKのNEWSWEBから引用です。

 

”富川アナウンサーは今月3日と4日に発熱がありましたが、その後すぐに熱が下がったため、今月9日まで番組への出演を続けていました。

今月8日ごろから息切れを感じるようになり、”

 

発熱があった時点で番組を休む選択肢は思い浮かばなかったはずがないと私は思う。

無症状の感染者がたくさんいるだろうと言われ続け、また自分たちも言ってきたマスコミの人である。

彼は、熱が下がったのをいいことに、発熱があったことを社に報告すればどんなことになるか、それが怖くて言わずに出演していたのではないだろうか。

そして息切れしなければ今でも出演し続けていたのだろう・・無症状感染者のまま・・

と疑ってしまう。

 

新型コロナに感染したことを非難するものではない、この時期に、発熱があった時点で番組を休み、それを公表して2週間自宅待機にしてもらうことをしなかったことに私は怒っている。