日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

無法松故郷に帰る  1973年 今村昌平

未帰還兵を追って マレー編、タイ編という今村昌平のドキュメンタリー(テレビ番組)でタイの3名の未帰還兵のうちのひとり、藤田松吉氏が長崎に33年ぶりに一時帰国した時のドキュメンタリーだ。

 

マレー編、タイ編のことはからゆきさんと同様、「遥かなる日本人」のエッセイに収められている。メインはマレー編と時の事前準備など。

 

未帰還兵はマレー編よりタイ編のほうがおもしろく、特に藤田、仲山、利田という3名の未帰還兵の会話に終始する。

その中でもよくしゃべるのは利田という医者だけれど、彼は免許?のない医者だという。住まいは水の上で近所の人達を診ている。仲山という人も医者だが、彼は免許のあるきちんとした?医者で息子はフィリピンに留学?している。彼は殆ど喋らない。

藤田氏は長崎出身で、やる気のない日本兵3名?を殺害した・・ということを普通に言う。。さらに3000人?(地元民?)ほど殺したともいう・・・。

あまりにもあっさり言うので、とても衝撃的なことではあるけれど、「ふ~ん」という感じで聞いてしまう。

 

その彼はタイとミャンマー(当時ビルマ)の国境近くに住む農民だ。

 

故郷には召集されてから一度も帰っていないという。

 

(多分)テレビ局でお金をだして藤村氏を日本に呼び、そのかわりドキュメンタリーを撮らせてもらったのだとおもうけれど、今村監督のドキュメントって話が意外なところへいくのでおもしろい。

長崎弁だから何言ってるのかよくわからないところ多し(笑。

 

今村昌平から無法松と名付けられた藤村氏。

まず、東京?近辺に住む妹のところに行く。元々妹は子供と長崎の兄のところに居たが

兄の暴力に耐えられず、子供をつれて(4人もいる!)出て来たことを知る。

長崎へ行く前に靖国神社(彼は兵隊が祭られているところと言った)へ行ったりもする。

 

長崎では金貸し?で財産を築いた兄のところへ行くが一晩泊まっただけででてしまう。

 

同じころ兵隊に行った近所の男性もクワセモノで、はなしがどんどんおもしろくなる。

 

兄は長崎の原爆で家族を亡くし、何度か結婚し、今は10歳?くらいの娘とふたりで住んでいる。妻は出ていったらしい。

 

無法松は役所で自分がマラリアにかかり行方不明になって死亡という書付をみて激怒。

なぜならその4年前に彼の家族(兄)は彼が生きていることを知っていたのに役所にはなにも届けていなかったからだ。

 

同じころ兵隊に行ったという兄と親しい男性宅で無法松の怒りが爆発する。

なぜならその男性は戦地で無法松に会ったと言い、その無法松の様子を役所に話たのも彼だったが、無法松は全く記憶になく、もし本当に戦地であったなら自分が覚えていないはずもなく、彼が役所に言った無法松は腕を撃たれ・・ということには無法松は自分が撃たれたのは足だと言って上半身裸になる。

そこへ兄が娘と一緒に現れ(娘もたいへんだ、子供なのに大人のいざこざを見せられる、当時流行りのパンタロンを履いてたりするのが懐かしい)、無法松は兄にくってかかる・・・。

 

大声で怒鳴っているので近所の人?が見に来たりして、無法松は裸足、上半身裸のまま男性宅を後にする。

 

帰国前に皇居へ連れていく。

無法松は言う。

こんなたいそうな暮らしができるのなら、ここ(皇居)を売ったって自分たちをたすけださなければいけなかったのに・・・天皇は××だ。と。

しかし、兄が天皇陛下を侮辱するのは許せないらしく、彼によれば日本にいて親(天皇)の悪口をいうのはいけないという。

タイでは彼は天皇=親であるという人だった。

そういえば、何かで日本人のルーツをたどれば全て天皇家へつながる・・・という神話?のようなことを読んだ?聞いた?ことがある。だから日本人の親は天皇であるということだ。

 

彼がいうには日本人は強欲になってしまったから戦争をした。

そして今でも(当時)強欲であるというよなことを言って日本を去る。

 

彼が受け取れる33年間の慰労金?の16万円は妹のところへいくようにしたという。

 

このドキュメンタリーを観る前に必ず「未帰還兵を追って タイ編」をみたほうが良いと思う。

 

このドキュメンタリーシリーズがDVDで発売されたが、私が欲しい「からゆきさん」と

この「無法松故郷に帰る」は違う巻(全3巻)に収められている。

時間はテレビ用?に50分くらい。

今は中古でしか購入できないが高い!(笑

だからこの動画がアップされ続けることを願っている。