日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

壁あつき部屋   1956年(公開年) 松竹

監督 小林正樹 脚本 阿部公房 

出演 三島耕 浜田寅彦 下元勉 信欣三 三井弘二 伊藤雄之助 小沢栄太郎

   内田良平 小林トシ子 岸惠子 望月優子 永井智雄 大木実

 

1952年につくった映画だが、当時の国民の気持ちやGHQのことがあって公開が4年後になった映画。

BC級の戦犯になってしまった普通の人々、命令を下した張本人が罰を免れた理不尽な世界。適当な裁判。

 

山下(浜田寅彦)は、南方で上官 浜田(小沢栄太郎)の命令により食料をわけてもらった現地人を殺す。

敗戦で、現地の裁判によって終身の重労働の刑をうけ、巣鴨プリズンで刑に服している。

同じ房には、戦時中の捕虜の米兵の通訳をしていたというだけで有罪となった横田(三島耕 ハンサム!笑)、朝鮮人で捕虜を運ぶトラックの運転手をしていたというので刑に服している伊藤雄之助、西村(三井弘二 罪名わからず、やたらと自分は38歳と言う気のいい男で政治的な思想や考えは一切ない)、木村(下元勉 長崎出身のクリスチャン)川西(信欣三 自殺しようと夜中に便所?で自殺を図るが、クリスチャンの木村に諭される。しかし、結局一人の時に房で自殺してしまう)

 

横田の弟(内田良平)は共産党に入党?したらしいが兄の許へ新聞を届けに面会に来る。

山下は妹の小林トシ子が面会に来た時に上官浜田にうまく騙され、母と妹が苦労していることを知り、怒りに震える。

山下は戦時中、浜田の命令で現地人を殺したのだが、現地の裁判で浜田は山下が勝手にやったことだと証言された。

どうしても刑務所から出て浜田を殺してやりたいと考えた山下はある夜逃亡を試みるも刑務所から一歩もでることなく捕まってしまう。

ひとりベッドにいる山下に横田は脱獄しようとした理由を尋ねる。

彼(横田)の役柄は人の世話をよくやく優しい人間だ。また通訳をしていたくらいだから学もある。

弟に戦時中、亡くなった捕虜を焼くために行った家?の心優しい娘?ヨシ子(岸惠子)のその後を調べてもらっている。

弟は渋谷の特飲街?にいるヨシ子に会うが、ヨシ子は昔とすっかり変りはて、「兄さんがでてきたら遊びに来てと言ってよ」などと言い、弟をげんなりさせる。

 

ある日、また弟が面会にきたとき、なにげなく山下の脱獄しようとした理由を話してしまう。弟はそれを機関紙?に書き、後に刑務所内で問題となる。

一体だれが漏らしたのか?山下は横田にしか話していない。終戦後、上官に裏切られ、誰も信じない山下が信じて話した横田なのに、彼はそれを書かせたのだ・・・と思い、山下は横田と絶交し、独房へ自ら入る。

 

慰労会の日に山下の母が死んだと妹から電報が届くが脱獄を試みた山下は外出を許可されない・・・。しかし、横田の尽力でなんとか翌日のお昼までに監獄に帰るということで外出が許可された。

みんなから来ていく背広やお餞別を渡され、山下は故郷へ。

駅への道すがら(都会だからプリズンをでて駅へ向かう途中?)の金物屋に並ぶナイフに目がいく。

 

山下の故郷はどこだかはっきりしないが、東京からそんなに離れたところではない設定(だと思う。)

藁ぶき屋根の古くさびれた家には物言わぬ母が寝ている。

わっと泣き伏せる山下、すると現地の母親が「自分の息子を殺したのは誰だ!」と言って捕虜収容所に押しかけ、伏せる山下を棒でうつ場面にきりかわる・・・。

山下は近所に住む上官の浜田家を訪ねる。もう明け方だ。

浜田の妻は望月優子。山下の予期せぬ訪問に慌てる望月は慌てて寝ている浜田に知らせる。裏口から逃げようとすると、山下を尾行してきた(ちゃんと刑務所に帰るように)男が裏口にいたので逃げられない。仕方がないので妻に山下を家にあげろという。

 

玄関で待つ山下にあがるように言うと、望月の足元には1っ匹の白い子猫が・・・。

蹴っ飛ばす望月。

浜田を山下との対面が見もの。そこへまた足元に白い子猫がくる。

ビックリして蹴っ飛ばす浜田。

 

この白い子猫、2度も(それも思いっきり)蹴飛ばされ、死んでないのか心配だった(笑。

 

殺してやる・・・と首を絞めようとする山下に腰を抜かした浜田。壁にはばまれそのまま尻もちをつく・・・、が、その浜田の顔は自分が殺した現地人の男に顔になった・・・。それをみてハットする山下は、「お前など殺してどうなるのか!」といい

立ち去る。

 

夜が明けて母親を近所の人と埋葬するために押す山下と妹。

近所の工場へ出勤でもするのだろうか、人がたくさん歩いている。

妹が、「兄さん、もう行ったほうがいい(お昼までにプリズンに帰るために)」といい、そこで別れる。

「お前、これからどうする?」という山下。。。

「生きていくわ」と答える妹。

このセリフ、「大阪の宿」でもおなじようなセリフがあって制作年も同じ1952年。

 

無事東京へ帰る山下。

ここで貴重な映像・・・。巣鴨プリズンは今のサンシャインシティにあったが、

(多分)池袋駅東口を出てサンシャインに向かって歩く山下。途中キャラメルを買う。

現タカセにあった森永キャラメルストア?ではないかと思う。

昭和26,7年の頃の東口と巣鴨プリズンへの道(砂利道)見れるだけで価値があった(笑。

 

俳優座、民藝、文学座などの俳優陣がたくさんでている。

クレジットに道三重三の名があった。佐野浅夫の名前より前にクレジットされていた。

佐野の場面は(サンフランシスコ)講和条約のことを話ながらスコップで飯とバケツに入れている囚人でそれ以外にもよく時代劇でみた顔の人が数人いた。それなりにセリフもあった。

 

道三重三は同年に「恋文」で準主役級だった。この映画はその後か、それとも前か?

期待していたら、

山下が現地で捕虜生活をしていた頃の回想で、裁判で死刑になった日本兵のつきそいをした日(銃殺された日本兵を埋めるためにその場に穴を掘る)、そのつきそい4名のうちの一名、トラックから降りて山下の背後にいる捕虜が道三重三だったが、セリフは一切なく(笑、立っているだけだった。

 

日経新聞の朝刊に「私の履歴書」という月替わりで有名人や経営者などのエッセイが毎日載るが、今月は岸惠子だ。

その連載が始まって2,3日目に岸惠子がこの映画に言及していて、

君の名はの続編が作られた同じ年にこの映画の撮影があって、まだ仕事に慣れていない岸は、新宿で撮影の時(映画は渋谷の設定)、(特飲街の女性だから)スリップ姿なんだけれど、着替えする場所もなく、ロケバスの中で思い切って裸になり(実際裸じゃないけど 笑)、スリップ姿で新宿の大通りを歩いたら、本当のパンパンの女性からヤジられた・・と書いていた。

それでこの映画を見たくなったのだが、岸が言うほど岸の役柄はそんなに重要?でもなく(もちろんあったほうが良いが)スリップ姿で大通りを歩いたのは撮影じゃなくて

撮影するために新宿のどこかへ行くためだった・・・ことがわかった(笑。

 

DVDを購入するか迷ったのだけれど、アマゾンで400円で見れるのでまずは鑑賞してから・・・ということにして昨夜みた。

少し見て、これ、ずいぶん前に観たことがあることを思い出した。。

日本映画専門チャンネル?だったのか・・・よく覚え居ていないが確かに見たことがあった。ただ、話の詳細まで覚えていないし、道三重三の名前すら知らなかった頃だ。

 

DVDで購入するかは微妙。。

 

追伸  道三重三は2017年頃までは元気だったらしい。

千葉に住んでいたらしく、それに道三の故郷は千葉だから多分彼に間違いないだろう。

  山下を演じた浜田寅彦、時代劇でよく見る顔でした。ほぼ悪役でしたが、この映画では主役級ですよね。若い頃と顔は変わらず、この映画のアップを見て、この顔、テレビの時代劇でよくみた!と思った。

 

追記・・・DVD、持ってました(笑。 米アマゾンで小林監督の4作品が一組になったもの。すっかり忘れてアマゾンに300円(高画質じゃなければ300円)払ってしまった。

ショック・・・