日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

花つみ日記  1939年 東宝

監督 石田民三 脚本 鈴木紀子 原作 古屋信子

出演 高峰秀子 葦原邦子 清水美佐子 御舟京子加藤治子進藤英太郎

 

大阪の芸者置屋?の娘 栄子(高峰秀子)は女学生。東京から転校してきたみつる(清水美佐子)と仲良しになる。みつるには東京に兄がいる。

担任の梶山先生(葦原邦子)の誕生日に二人でプレゼントをしようと栄子と話し合って

みつるは栄子と自分のイニシャル入りの刺繍を作る。

 

梶山先生の誕生日、待ち合わせた先生の家の前で栄子は待っていたが、みつるがなかなか来ない。それを下男にみつかって栄子はひとり家にあがるように言われる。

それでもみつるを待っていたが、栄子は自分がもってきた人形をプレゼントしようとしたが先生は生徒からプレゼントはもらえないと言われる。がっかりしている栄子、その時みつるがやってきた。

遅かったじゃないのというとみつるは私は時間通りに来たわという。栄子の時計が早かったのだろうか・・・。人形に気づくみつるは、「お互い抜け駆けするのはやめましょうと言っていたのに、私のしらないお人形なんてもってきて、私が一生懸命刺繍したものよりいいものだし、あなたを許せない」といって絶交してしまう。

 

なんとか説明しようとしてもみつるは頑なで、とうとう栄子も怒って喧嘩別れ。

 

しばらくすると栄子が学校に来なくなった。みつるは下駄箱を毎日のぞくが栄子の靴はない。

ある日、級友から栄子は芸者(舞妓)になったと聞かされ、動揺するみつる。

 

一度栄子の家へ行くが、舞妓姿の栄子に声をかけられない。

 

ある日、みつるは父から八尾市の信貴山へ誘われる。同じ日、芸者衆と一緒に舞妓姿の栄子も信貴山へお参りにケーブルカーに乗っている。

このケーブルカーは西信貴ケーブルと呼ばれている。朝護孫子寺が山頂にある。(行ったことはないけど 笑)

 

ばったり栄子を出くわすみつる・・・。栄子の表情がよい。

ちょっとにっこりして、悲しそうな顔をして、怒ったような顔をして駆け出す。

 

熱を出して寝ている栄子を級友4人がお見舞いに行った時、みつるの兄が翌日、出征するので大阪にいることを聞いた栄子は、熱があるのをおして道頓堀の戎橋で千人針をお願いする。

雨の中千人針を集めた栄子はそのまままた寝込んでしまうが、梶山先生からみつるの兄に手渡して兄は出征する。みつるはそんな栄子に謝ろうと梶山先生と栄子の家へ行く。

 

ほのぼのとした物語。途中、編集の不具合からか、寝込んだ栄子の脇にいた母親が一瞬にして消える!という珍場面(笑 もあったが、高峰秀子が可愛いのなんのって(笑。

ただ画像、音声とも悪くて顔がはっきり見えないところも多いがアップされてることだけで感謝する。

高峰秀子、当時14,5歳。高峰秀子のこんな可愛い笑顔の陰で、すでに金の亡者と化た養母と親類縁者大家族を養うために働いていたんだと思ったら涙がでた。

 

御舟京子というのはのちの加藤治子だそうだが、とにかく画像が荒くて級友のひとりだと思うのだがよくわからなかったのが残念だ。1922年生まれ、高峰秀子より2歳年上で当時は16,7歳だった。

 

ところで梶山先生を演じた葦原邦子、私は石井ふく子あたりのドラマでよく見た太った、のんびりした口調で話すあのおばさんだったのはびっくりしたけれど、意外と顔は同じで違ったのは喋り方と体型だった。