日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

泣きぬれた春の女よ  1933年 松竹

監督 清水宏 脚本 陶山密 原作 本間俊

出演 岡田嘉子 大日方傳 村瀬幸子 千早晶子 大山健二

 

まず驚いたのが1933年にトーキーの存在でした。ずっとトーキーになるのは1935年以降だと思っていたからです。

トーキー作品と映像に出たとき、だから「え?」と思いました。

 

1935年であっても無声映画がたくさんありますし。

 

知った人は4名しかいなくて、大日方傳を岡田嘉子ととりあう(と言ったらちょっと違うが)女性役の千早晶子は知らなかった。

 

物語は船で炭鉱へ働きに行く男達と酒場で働くためにその炭鉱近くの街へ行く女達の物語。

上官と呼ばれ、炭鉱の男たちを仕切るのが大山健二。

酒場には雇われマダム?の岡田嘉子がいて、村瀬幸子(若い 笑)以下女たちがいる。

 

大日方傳はアニキと慕う子分?と一緒に酒場へいくとそこには家が貧しく仕方なく働いている千早晶子がいてその初心?なところが気に入ったのか、大日方は千早をひいきにするが、面白くないのがマダムの岡田だ。

岡田は幼い女の子がいるが、自分の部屋は子供は来てはいけないと言って寝室は別々で子供も可愛いとは思っていない。

大日方に気がある岡田はなんとか大日方を自分のものにしようと色仕掛けで接近するが、大日方の気持ちはどうもわからない。

千早が家が困っているからと前借を申し込むも、そんないきさつから意地悪く断る岡田。

その岡田目当てで通うのが炭鉱の上官と呼ばれる大山だ。

 

村瀬幸子はそんな岡田の様子をみて同僚に「海千山千の岡田」と初心な千早はどっちが大日方をつかむのか・・・と話している。これで岡田の過去がわかる。

 

上官の大山を殴って逃げて来た大日方をかくまう岡田。

大日方を千早に「連絡船に乗ってふたりで逃げろ」という。

大日方を諦めた瞬間だ。

 

子供と窓を開ける、遠くに連絡船が出発するところがみえる。

 

ところでセリフがうまいのはなんと言っても村瀬幸子。

 

大日方傳はまぁまぁだけれど、準主役と言ってもいい千早晶子のセリフが酷い(笑。

無声映画からトーキーへ変わった最初の頃だからセリフは大げさで棒読み、独特な喋り方と訛りもある。

岡田嘉子もうまいとは言えず、私が初めて動く岡田嘉子を見たのは寅さん映画 第17作で日本画の大家扮する宇野重吉と若い頃になにかあったが結局別れて年月が経ち、再会する場面でお茶だかお華?だか書道?だかの先生と呼ばれている年老いた女性。

当時74歳。その時もセリフが下手だったと思った記憶が(笑。

この人が(なんだかわからないけど)ソ連に亡命?(といえるのか?)した女優さんだったんだ・・・くらいが心に残ったくらい。

 この映画の題名がいまいち?だけれど、原作通りなのだろうか。

 

岡田嘉子wikiだと89歳没とある。

女性は長生きですね(笑。