日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

洲崎パラダイス 集英社 芝木好子 1994年

集英社のこの文庫本がなぜか異様に高値だ。定価400円の本が2000円以上。

昔持っていたけれど、処分してしまったのが悔やまれる(笑。

芝木好子の名作集にもこの短編は掲載されているけれど購入するのはどうかなぁ・・。

 

やっと開館した図書館で借りた。それでも予約した本だけの貸し出しで図書館内はカウンター以外閉鎖している。基本的に私は予約して借りていたが、確かに昼間から沢山の(特に中高年男性)人が、図書館内の丸いソファーで新聞や雑誌を読んでいた。

だからそういった人たちが長時間図書館に居座られるのは今は困るのだろう。

 

洲崎パラダイスは短編のひとつで、この文庫にはそれ以外に

洲崎パラダイス 黒い炎 洲崎界隈 歓楽の町 蝶になるまで 洲崎の女

の6編だ。

一話20分もあれば読めてしまう。

映画はこの6篇の中5編に千草の徳子が登場する。それぞれ出てくる女は違うが千草に昔勤めていた設定だ。

 

映画と違うのが各所確認できたのでその備忘。

 

映画では ふたりが佇んでいるのは勝鬨橋

小説では 吾妻橋(はっきりしない)

 

映画では 煙草を買うのは蔦枝

小説では 煙草を買うのは義治

 

映画では 二人は勝鬨橋の橋詰から北砂町行きのバスに乗る。

小説では 吾妻橋の方から来たバスで月島行きのバスに乗る。

 

映画では バスの中でむっつりしている蔦枝、洲崎弁天町とバスガイドがいうとな  にも言わずに立ち上がり、勝手にバスを降りる。慌てて義治も後に続く。

 

小説では 蔦枝は木場の運河にうかぶ流木を珍しそうに眺め、義治を促して洲崎で降りる。さらに義治に月島まで行けばいいのにと言われるが「月島まで行って倉庫の中にでも寝る気?」という。義治は月島の倉庫の帳付け1か月前までをしていた。

 

映画では 義治と蔦枝は大門通りへ停留所から直接歩いて行き、洲崎パラダイスというネオンのアーチをみてから橋のたもとの千草の女中入用の張り紙をみて「お昼も食べてなかった」といい入って行く。

 

小説では 裏道から運河に沿って歩き、大通り(大門通り)にでる。橋のたもと付近に並んでいる小さな酒の店に入る。それが千草。

 

映画では 蔦枝が徳子にわたしたちは訳ありで・・とだけ言い仕事はないかと尋ねる。

小説では 蔦枝は徳子にふたりのわけを話す。それは栃木の在の者だったが、家の事情?で蔦枝が料理やの女中をしたので義治の親が結婚を反対し、それで東京にふたりで出て来たが男の就職口もなくお金を使い果たしてしまったということだ。

 

映画では 蔦枝が一番初めに接客するのが「神田のラジオ屋」の落合で「常連客」。翌朝「焼酎」をつけで飲んで「オートバイ」で帰る。経済市況を聞こうとするとラジオが壊れていると徳子が言い、真空管をもってきてやるということになる。

小説では 「新しい客」としか書いていない。しかし、翌朝、映画と同じようにその男が電車賃だけ残したことに徳子がプリプリ怒る箇所があって、落合という昨夜初めて来た客となっている。落合の職業は「神田の医療器具商」でその日は「梅酒」をつけで飲んで「タクシー」を拾って帰る。

 

映画では 蔦枝と義治は千草の2階(屋根裏部屋)で寝起きする。

小説では 1階の六畳一間きりの部屋の真ん中からカーテンで仕切りをして徳子と二人の子供達と寝る。

 

映画では 宴会帰りに千草に寄った落合が生まれは神田川の産湯をつかったと聞いた蔦枝が「私は夢の島っていう島・・川って大好きさ、せいせいする。」と落合にいう

小説では 蔦枝の故郷、夢の島の話は義治に話したことでそれを義治が回想する形になっている。

 

映画では廓の年増、田中筆子が千草でこぼす場面にトラック運転手の信夫と初枝がいた。そして田中筆子が男が忘れれれないから洲崎に戻ってきてしまうといい焼酎を飲む。その女が蔦枝に徳子の女と逃げた旦那のことを言う。

 

小説では 「着物は夕方借りて脱げば夜のうち帰し、次の夕方にまた借りる。それが全て前借についているし、19の女と並ばせられて、客も若いだけが魅力ならゴムまりでも抱けばいい」といって酒を飲む。そして徳子が廓の女はいつふっといなくなるかもしれないからうかつに酒代を貸せない・・といい、その女は千葉のほうから半月ほど前に流れてきたおんなだという。徳子の旦那のことは徳子自身が蔦枝に言うが、死んだようなもので帰ってきたら面の皮をひんむいてやるという。

 

映画では落合がつまらない宴会の帰りに来ていたのは背広上下

小説では藍色の結城の着物

 

映画では 落合と一晩過ごし、徳子にお土産と渡した反物に徳子が少し派手だという

小説では スフモスリン折鶴の柄ゆきがばかによかったとある。

 

映画では昨夜蔦枝を訪ねて来た義治を探しに蔦枝がプリプリしながら千草をあとにする。

小説では 徳子が自分の息子に蕎麦屋にいる義治を呼びに行かせるが、「いなかった。今朝早くどこかへ行ったって。」と帰ってくる。

 

映画では 千草の貸しボートに乗った娼婦に「紅乃家にいたひとじゃない?」に言われる。

小説では 千草に若い客を送って一緒に入ってきた女に言われる。

 

映画では 義治を探せなかった蔦枝が徳子に歩きながら「別れるのなら一言挨拶ぐらいあってもいい」と怒っているとスクーターに乗った落合が現れ、アパートがみつかったというとそのまま蔦枝は落合のスクーターに乗って去ってしまう。

 

小説では 落合が千草に現れ、アパートが見つかったという

 

映画では 一度落合と一緒になった蔦枝が千草に戻って義治の消息をきいたり、徳子の戻ってきた旦那が追ってきた愛人に殺されたりするが、小説では千草に落合が現れ、アパートの話をした同じ晩に義治のいた蕎麦屋の小僧が「厩橋の宿屋に金持ってこい」という義治からの伝言で蔦枝がそのまま姿を消す。翌日、また千草を訪れた落合に蔦枝がでていったことを徳子が言う。

その後、映画と同じように女中志願のおんなが来る。

以下小説から

 

「また来る」

落合は立ち上がって、あっさり帰っていった。また来るかどうか解らない。おかみさんは客を見送って、秋陽にぬくむのれんの外へ目をやった。昼下がりの洲崎界隈はひっそりとしずまっていた。

 

映画では季節は梅雨だが小説では秋だった。