日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

映画俳優 安藤昇  ワイズ出版 山口 猛 2015年5月24日 第1刷

安藤昇が清水昭氏のプロダクションにいたのなら、安藤昇関係の書籍であれがもっと清水昭氏のことが載っているかもしれないと思い借りた本。

先日の「激闘!闇の帝王安藤昇」より良い。著者は映画中心に著述活動を始めた人とある。助監督もしていたらしい。安藤昇にインタビューする形式の本でわかりやすい。特に俳優になったあとの安藤昇のことがメインだからなおさら太平洋テレビの清水昭氏がでてくる可能性は大だ。

 

ここで安藤は神戸で清水昭氏、岡田茂氏、俊藤浩慈氏 と4人でトルコへ行った話をしている。(裸の付き合いだよ といっている)

五社英雄監督と太平洋テレビの清水昭は親しかったので昭和45年五社英雄監督のテレビ映画「新三匹の侍」に主演した。これが安藤昇のテレビ作品では初。

安藤昇の経営するサパークラブ、アスコットに清水昭氏は毎晩酔っぱらってきた。面白い男で「安ちゃん、俺にマネージャーあらせろよ」と言ってきたから、俺のマネージャーをしていた嘉悦義人も一緒に太平洋テレビに入ることにした。清水氏はなかなか才能があって、脚本を見る目がある・・・と述べている。

太平洋テレビではジャンギャバンや早川雪州との共演話があり、清水昭氏が進めた話だが、それは話だけで終わった・・とも述べています。

(ジャンギャバン共演 国籍の無い男?)

太平洋テレビ所属になったのは昭和41年(1966)10月末からでその当時、早川雪州、嵯峨三智子、三國連太郎アイ・ジョージなどが所属していた。

太平洋テレビの清水昭はスター作りで定評があり、安藤昇の本格的な売り出しにかかることになる。

また嵯峨三智子のことも話しているが、びっくりなのが

男はつらいよ」シリーズの舞台裏 ページ163から だ。😊

それは 寅さんのアイデアを最初に考え、当の監督、山田洋次に提供したのが安藤昇だったことだ。 安藤昇は「望郷と掟」で渥美清と共演していた。

渥美清は昔、清水昭氏の太平洋テレビのプロダクションにも入る予定だったが、清水氏逮捕で流れた)

話はこうだ。

野村芳太郎監督1966年の「望郷と掟」で山田洋次は助監督だったので知っていた、その頃太平洋テレビの清水昭社長と安藤昇がヤクザ映画の喜劇の企画を考え、脚本の書き手に目をつけたのが山田洋次だという。清水昭氏と安藤昇山田洋次を呼んで大体のプロットは安藤昇がテープに吹き込み「ヤクザ喜劇を書いて、映画にしてくれないか」と注文したという。

その話はヤクザが市民社会の中に入っていって、騒動と笑いを引き起こすという話だったいう。それから1か月ほどして(多分1968年頃)山田洋次は「書けません」と断ってきたが、しばらくするとフジテレビで「男はつらいよ」が始まった。(1968年10月~1969年3月)

 

聞き手はこう言っている。

「それではまるでアイディア盗用ではないですか。山田洋次は安藤さんに断ったのですか?。」

すると、

「まさか。ただ、俺は山田洋二が俺のアイディアを盗んだことで怒ってはいるが、表沙汰にはしなかった。あれが映画になって当たったから、俺は黙っていた。

気の小さい松竹のことだから、そんなケチが付いて、映画のシリーズにならないよりも、映画として成長していった方がいいだろう。だけど山田洋次に会ったら、あいつを締め上げなけらばいけないところだ。」と安藤昇は答えている。

 

安藤昇の本を読むと安藤は映画のアイディアがふんだんにあり、その話を基にしたヤクザ映画がたくさんあるという。例えば緋牡丹博徒の女博徒など。俳優を辞めた後もプロデューサーとして映画の仕事をしていた。

だからこの話も案外安藤のいう通りかもしれない。

 

著者の山口猛氏は2004年9月に54歳で没し、この文庫本には2015年4月7日にまた安藤昇氏にインタビューしたものが載っている。このやり取りを読んでも安藤氏がそんな作り話をしたとも思えない。例えば聞き手がなにか聞いても覚えていないことははっきり言う、あるいはあっさり返事をする・・などだ。

もし中古本を買うならこの本かな。

 

追加

不埒三昧 わが下半身の昭和史 安藤昇 も図書館にあったので借りました。

借りる時ちょっと恥ずかしかった(笑。

 

この本の題名通り、安藤昇の女性遍歴が述べられている。

こーゆー本を読んだ男性がその気になって「やっぱり世間のオンナは好きなんだ!なにが?笑」と思って強引にアプローチすると現在では犯罪になります(笑。

安藤昇だからモテたわけです(笑。

 

最後のほうは

代々木に住むA子。女優のタマゴである。と登場するのはどう考えても山口洋子

その山口洋子がなんとこの本にあとがきを載せている。

解説にかえて 牙のある男 という題名だ。

 

昨夜、山口洋子の謎についてふと頭に浮かんだこと。

ネットでは1957年東映ニューフェースとある。これは確かだろう。同期には佐久間良子(19歳)なんかがいる。彼女の生年月日は1937年だとあるけれど、もしかしたら

彼女、自分の年を多く偽っていた?んじゃないのか??

例えば本当は1940年生まれ?・・・ネット記事によっては東映のニューフェースに17歳で合格という記事があるのだ。

女優のタマゴでは当然食べていかれないから夜のアルバイトもしていたと思われる。

彼女はそもそも名古屋の不良だったらしく、安藤昇とも16歳?くらいで知り合っている。だから安藤が逃亡した昭和33年(1958年)はまだ18歳(じゃなかったのか?)

 

クラブ姫をオープンしたのが1963年。本当は彼女はまだ23歳でクラブ順子の順子ママより若いオーナーママだったのではないだろうか・・・

パトロンは誰?と思うけれど、安藤昇はその時刑務所なんだよねぇ。