日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

「姫」という酒場 ザ・ラスト・ワルツ 山口洋子  1996年 双葉社

安藤昇と付き合っていた山口洋子の自伝?なら清水昭氏のことも書いてあるかもしれない・・・と思い借りた本。

 

安藤昇のことも、清水昭氏のことも書いてない。

 

山口洋子は「姫」をオープンしたのは1956年8月8日(昭和31年)と書いている。そして石原慎太郎の「太陽の季節」がブームで、場所は銀座7丁目の木造2階建て。19歳であったとしている・・・。東映のニューフェースだったことも書いてはあるが、彼女が東映のニューフェースになったのは1957年(昭和32年)で佐久間良子と同期と彼女も言っているから女優になる前にバーをオープンしていた・・ということになるが、言いぶりだと、自分は大部屋で終わる女優だから水商売を始めた・・・というようなことになっている。

 

変だ(笑。

 

あとがきに野中昭如氏が昭和34年(1959年)暮れ、銀座であたらしくバァが開店し、マダムは映画のニューフェース出身、同業中の最年少、たいへんな遣り手よ聞いた覚えがある、云々と書いている。

こちらのほうがニューフェース(1957年)、バァ開店(1959年)で理屈が通るんだけど(笑。仮に19歳、最年少でバァ開店なら、やはり彼女は1940年生まれでないと計算があわない・・。

 

想像だが、年を偽って銀座で働き始めたのが1956年?その後、ニューフェースに応募(何かで知り合いが勝手に応募したら合格とあるが、これ、女優さんがよくそういう子と言うんだよね・・・同期の佐久間良子もそうだった)

1958年には代々木のアパートに逃走中の安藤昇をかくまっている。(安藤氏の本より)

その時にもバァの話は一切でてきていない。。ただし、女優だけでは食べていけないから夜のバイトをしていたのろうと思う。

 

追加

彼女本人が、この本で東映撮影所に通いながら未成年だったが銀座のキャバレーでこっそりバイトしていたと書いてあった。(元ミスユニバース日本代表の娘のスカウトに彼女のアパートに行った時の回想で)

東映ニューフェーズの年は動かしがたい事実だ。

本のはじめに姫の開点した年ははっきり覚えていない(1956年 本人弁)けれど開店した月日は8月8日ははっきり覚えていると書いてあるところなんか、後の言いわけを考えて書いてあるとしか思えなかった。

 

「夜の蝶」ででてくるような話もこの本には書いてあるけど、まるで映画の「夜の蝶」の山本富士子のセリフのようだった。夜の蝶は1957年大映映画。山口洋子も観てると思った(笑。

 

こうなると死んでしまった姫のホステス達の話も作り事に思える。

嘘と本当を適当に書いた本だと思う。

 

追記

彼女は「ミニクラブルイ」も経営していたのに一切ふれていない。場所は姫の上の階。

姫とは階段でつながっていた。

この本でも丸源(とははっきり言っていないが)ビルの2階3階で姫をやっていたとあわかる。その3階部分をミニクラブにしていた。

 

また関西資本の進出で銀座が変わってしまったとも書いているが、彼女の「姫」も「ルイ」も同じシステムだったのはどうしてだろう?

エスポワールやおそめのママが言いそうなセリフを知らんぷりして書いちゃう(自分のクラブはまるで関西資本と同様だったのに)のってどうなの?(笑。

そして、ガラのよくない(その筋の)人と渡り合ったことなども書かれているが、はっきり言えば彼女の店の客はどうだったのだ?と私は聞きたい。

未成年のときの愛人は安藤昇だし(笑。

店の客として自慢げに語られているののは文士や芸能人だけど。

 

いくらなんでもいい加減すぎる自伝でした。はい。