日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

空気のなくなる日   1949年 

監督 脚本 伊東寿恵男 

出演 花沢徳衛 田中筆子 原緋沙子

 

明治42年ハレー彗星接近にともなうデマでおこる村の騒動。

なんだか今のトイレットぺーパーやマスクのことが浮かんだ。

 

村の小学校には名主?のお金持ちの子供も、貧乏人の子供も通っている。

ある日、町へ行ったこずかいさんからハレー彗星が通過するときの5分間、空気がなくなるときいた校長先生は、子供達に5分間息をとめる練習のため、桶に水をはって

子供達に訓練させるが、みんなのびてしまい、最後には校長先生もノックダウン。

 

こずかいさんは村の名主?の家に行き、車のチューブを買えば5分間そのチューブの空気がすえることを教える代わりにチューブをわけてもらう約束をして自転車屋へ連れていくとその噂をきいた村の住人が店先に押し寄せている。

 

自転車屋の主人はそれまで2銭?くらいだったチューブが150円だという。

村人は買えないが、お金持ちの名主は札束をだして店にあるチューブを全部買い占める。

 

家族そろってチューブで空気を吸う練習をする名主?の元へ、こずかいさんがチューブをもらいに行くと、主人は穴のあいたチューブを投げて寄こす。

これでは空気が吸えないというとその主人は約束はチューブ1本だった。分家にもわけてあげないといけないから余分なチューブはないとけんもほろろな対応をされる。

 

お昼の12時から5分間、空気がなくなる日、ある家族は白いごはんを炊き、たくさん食べて最後の晩餐をする。

午前中に行った学校では名主の息子がチューブを体に巻き付けて登校してくる。

貧乏な子供と喧嘩になり、いままで威張っていた名主?の子供だが、命令しても誰もいうことをきかない。みんな自分はもう死ぬのだからなにもこわいものはない・・・な心境なのだ。

 

運命の12時・・・

 

1分過ぎ、2分過ぎ、10分過ぎても何も起こらない・・。

 

空気はなくならなかったのだ。

 

日本では、同年5月19日の『大阪朝日新聞』が「フレンマリオン氏」の説として、「尾の内に含まれる水素が地球の空気中に存在する酸素と化合すれば、人類は皆窒息して死滅する」と報じた[8]

本作は、こうした流言飛語にもとづいて庶民たちがそれぞれに生き残るために工夫し、あるいはこれを利用して一儲けしようとする姿を描いた。(wiki

 

今と比べてまだマシ?なのは

転売しようとする人がいなかった(笑。

高く売って儲けようとするお店だけだ。チューブを買い占めた(といっても村の人間はチューブは買えなかった)お金持ちは自分たちと分家、一族のものでそれを更に転売しようという話ではなかったのがこの映画の救われる?(笑 点で、

某フリマなどではマスクはもとより小麦粉やホットケーキミックスがスーパーから消えたあと、800円から1000円の出品がたくさんあった。(普通は250円くらいのもの)但し書きは、自分の家のストック云々だが、非常に疑問だった。

今は総理大臣になった菅さんが野党時代の2012年に書いた本が12万円とかで(定価1300円)出品されてるとかで・・・びっくり。

私は小麦粉も本も買わないが、出品者の顔がみてみたい(笑。