日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

囚人狂時代   見沢知廉 新潮文庫 平成10年4月1日発行

先日読んだ「殺ったのはおまえだ」の本で、この「囚人狂時代」を知

った。その時は殺人で服役しているとは知らなかった。

 

”バリバリの新右翼リーダーだった著者は、スパイ粛清事件の実行犯として逮捕され、懲役12年の判決を受ける。留置場や刑務所には、かつて世間を騒がせた”ビッグ”たちがひしめいていた・・・「三越事件」の社長、「ホテル・ニュージャパン」のあの人、

「金属バット殺人」の彼・・・・。有名人の知られざる生態、長期刑務所という極限空間の奇妙な日常生活を描いた、異色の「笑える」獄中体験記。”

とカバー裏にはある。

確かにそうだった。

だけれど、結局誰も世にいう刑務所で「反省」などしていないのだな・・・が感想。

 

彼は新右翼のリーダーだとある。そして仲間の一人が彼が言う「公安のスパイ」だったから殺し、そして殺人で12年の懲役刑を受けたのだが、どうも自分の犯した殺人が彼は

他の囚人たちが犯した殺人とは違っている・・・と思っているのだろうと感じた。

私からすれば愛人や妻、隣人、はたまた無差別の人殺しだろうが、「粛清殺人」だろうが「人を殺した」ことに間違いない。左翼だか右翼だか、学生運動などのことは全く無知だけれど仲間内で「スパイ」を処刑したのがそんなに誇れることだろうか?(この本では彼は自分の事件を語ってはいない)

なにか自分は頭が良くて、革命の戦士で、自分のやったことは正しくて、他の(頭の悪い)殺人囚とは違う感が散りばめられている。

スパイ処刑事件で調べると事件の概要が少ししかわからなかったが、(実際、殺された男性が本当にスパイだったかどうかはっきりしない)私は中学生のリンチ殺人とどこが違うのか?と思う。

 

ちょっと前にニュースで女性で無期懲役を受けた人が収容されている刑務所で確か50代と70代の囚人のインタビューを見たことがある。どんな事件を犯したのかはわからないが無期懲役はかなり残酷なことをしたのだろうと想像できる。

彼女たちの口からでるのは刑務所での暮らしの不便さだけだった。

化粧ができない、白髪染めができないのが辛い、あと何年ここにいなければならないのだろう・・・、出られたらあれがしたい、これがしたい・・・そんな話だった。10分にも満たないレポートだったが、彼女達の不満を聞いていて、なんだかなぁ・・・。

 

彼が刑務所にいた時期に入ってきた人達の事件は私も知っていた。

そういえばあんな事件があった・・・と思い出し、その都度ネットで事件を検索した。

今はほんとにいい時代になりました。とりあえずはネットで検索できます。

 

それは楽しかった。

 

そしてやはり彼も刑務所での待遇や処遇を書いている。出所後も世間並に戻れるのが数年・・・かかるのだそうだ。

大雑把にいえば、処遇を改善しろという上記、女性無期懲役囚と同じだが、そもそも

殺された人間は文句が言えない、未来はない、希望もないのだ・・・そのことわかってる?と感じた。

 

文化人?と呼ばれる人たちは彼のような人を持ち上げる傾向があるけれど、

そんなに偉いことを彼はしたのだろうか?

母親まででてきて出所後は一躍時の人となったようだが(私は知らないがサイン本も売られているところをみると)並みの頭脳しか持ち合わせの無い私には何故かまったくわからない。

獄中で書いて新日本文学賞とやらを受賞した「天皇ごっこ」も有名らしいが私は読まない。

結局 彼は自殺して2005年、46歳で没。