日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

洲崎パラダイス赤信号 好きなショット 1956年 日活

昨夜、何十回目か忘れたけれど洲崎パラダイス赤信号を見る。

 

新珠三千代三橋達也勝鬨橋にいる

 

「俺なんか死んじゃえばいいんだ」という三橋に

「二言目には死ぬ死ぬって、人間死ぬまで生きなきゃならないんですからね」

という新珠三千代のセリフが最高

 

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新珠三千代三橋達也

お昼もまだだった・・・・と洲崎橋の袂で言う新珠三千代と座り込む三橋達也

その前に千草の女将、轟夕起子が店の明かりをともす場面があるがセットだと思う。

非常にうまくつないでいてセットとロケの切り替えがすごい。

 

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千草に砂利運びをしている若者と女の子が相談があると夕方来るが、そこへ洲崎の年増、田中筆子が焼酎を飲みにやってくる。

「私なんかこんな年季の入った体で若い娘と一緒に並ばせられるんですからね・・・」

とおかみにこぼす。脇で座って煙草をふかす新珠三千代も良い。

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田中筆子

前にも書いた(と思う)氷やは、あの突貫小僧=青木富夫で、

千草の女将に「今年はあんあmり氷も出ないでしょ」と聞かれ

「なにしろこう梅雨が明けなくちゃねぇ」というセリフだけ。まぁ、氷やだからね(笑

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轟夕起子と青木富夫

新珠三千代扮する蔦枝が神田のラヂオ商、落合(河津清三郎)とすしを食べた後に洲崎弁天内の小屋にいる場面は何度見てもいいなぁと思う。

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河津清三郎の酔っ払い具合が最高なのだ

すっかり真面目になった三橋達也だが、蔦枝がまた千草を訪ねてくる。女将は今蔦枝にあったら、三橋はまた元の生活に戻ってしまうと思い、蔦枝に会わせまいと出前の帰りの三橋に用事があると引き止める。

この実際の洲崎橋の袂と千草の店のショット♪

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三橋達也轟夕起子

三橋のいる「だまされや」という蕎麦屋は女将に言わせると「電車道を渡ってちょっと行ったところ」なのだが、去年、実際歩いてみると(洲崎からだまされやのロケ地)ちょっとどころか徒歩20分はかかる。

 

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だまされやを訪ねた蔦枝が歩く

乾物屋というお店が確かに昔はあった。私も覚えている。まだ巣鴨の地蔵通りには残っているが、最近は行っていないのでまだやっているのかはわからない。

現在の美術館通り

だまされ屋は餃子屋に、生花店はやっていないが、薄くflowerという字が見えるので花屋はやっていたのだろう。隣の乾物屋は政治家の事務所?で貸しているようだ。

映画で見ると随分間口の広いお店のようだが、今はこんな感じ

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左端がだまされや、入船生花店、そして伊豆屋という乾物屋だった

今日は、千草の女将の夫が刺殺された後の梅雨明けのような天気だ。

 

仙台で新聞みてびっくりしたという落合。いなくなった蔦枝の行方を実は聞きに来たのだ。

「女の執念というのは恐ろしいもんだねぇ・・」

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洲崎橋にはいなくなった三橋達也を思うのか、玉子=いづみちゃんが佇む。

そして勝鬨橋で今度は三橋の行きたいところへついて行くという新珠三千代。ふたりは別方向へ行くバスへ乗るために駆けだすのだ。

どうにもならない暗い映画が、最後はわっと明るくなる。

梅雨の時期に観るのに最高な映画です(しつこい)