日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

広い天  1959年 松竹

監督 野崎正郎 脚本 柳井隆雄 原作 獅子文六

出演 伊藤雄之助 真藤孝行 井川邦子 山内明 松本克平 九条映子

   山崎猛 磯野秋雄

 

伊藤雄之助と真藤孝行

子供の教育用にもオッケーな物語だが、なんていうか、なんていうか、イマイチだと思った映画。

前頭葉の衰えからか、ちょっとしたことでも涙腺が緩む私だが、なぜか泣けなかった(笑。

助監督で篠田正浩の名前発見。無声映画の時に学生役でよく見た磯野秋雄の出演も懐かしい顔。

 

戦争末期の昭和20年、父は戦地で行方不明、母(井川邦子)と東京で暮らす新太郎(真藤孝行)は空襲が激しくなり、自宅も焼けてしまったので母親の親戚がいる広島へひとり疎開することになった。疎開先の住所を書いた紙をなくさないようにとしまうのだが、

途中、空襲警報が鳴り、汽車の乗客全員が慌てて外へ避難。そのどさくさ新太郎のことを道中頼んだ九州まで行くという男性とはぐれてしまう。幸いなことに前に座っていた長い顔の男(伊藤雄之助)に助けられる。しかし広島の住所を書いた紙がない。新太郎は紙に書いてあるからとその住所を覚えていなかった。

 

そこでその男は自分は四国へ行くのでそこで東京の母へ手紙を書けばよいと提案され、新太郎はその男と四国へ渡る。

その男は小杉朝雲と名乗り、ノミ道具を持っている。大工か?と訊く新太郎だが職業は明かさない。朝雲に連れていかれた家は兄が後をついでいる農家だったが、その兄(松本克平)と妻は他人の子を拾ってきたといい顔はしない。彼らの娘のよし子(九条映子)は新太郎に優しいが、弟の伝造(山崎猛)は新太郎に意地悪だ。

 

広島へ行くために母と別れる駅の改札の場面は泣く場面なんだが、まぁ、泣けなかった(笑。この映画が封切りされた当時の大人だったら泣けたろうと思う。

 

新太郎が田舎の子供たちから意地悪をされたり、喧嘩をしたり、そして仲直りしたり。

はまぁ普通。新太郎の父が行方不明であると知った子供たちは行方不明というのは捕虜になったということだといじめられるのは「死して虜囚の辱めを受けず」という考えの世の中であったことがわかる。

母に居所を知らせるはがきを送った新太郎だが、そのはがきは居所不明で戻ってきてしまう。戦争末期の東京宛のはがきがちゃんと届けられなかったと戻ってくるというのはさすがに日本の郵便局だと思った。

 

一方、新太郎の母は広島に大きな爆弾を落とされ多数の死者がでたらしい・・・と訊き、自分が広島へ新太郎を行かせなければと後悔の涙にくれるが、どうにもならない。

 

そして終戦ーーー。

 

小杉朝雲はまた彫刻を始める。彼は彫刻家であったのだ。

そして最初の題材は新太郎。朝雲は新太郎をモデルに一心不乱に木を削る。

完成した彫刻を持って朝雲は東京の展覧会へ。当然連れて行ってもらえると思っていた新太郎だが、汽車に切符もないので母を探してくるという約束で四国へ残るが、

朝雲がいなくなると彼の兄や兄嫁から納屋に寝ろと言われる新太郎。

それでもめげずに新太郎は朝雲を思い出しながら自分も彫刻をしてみようと農家で飼っているウサギをモデルに戦争に行った父からもらったナイフで木をけずる。

 

東京の母は、長い間行方不明だった夫も帰って彼は来て新聞記者をしている。

仕事で博物館の取材に行くと、目に留まったのが朝雲の彫刻だった。写真に収め、自分も気に入ったのでその写真を焼き増しして妻に見せると妻は新太郎だと言う!

 

ある晩、船着き場にいる新太郎に声をかける男は大阪に行くから船で働くなら乗せて行ってやると言われ、優しかったよし子に置手紙を残し、その男の船に乗る。

船長だという男(磯野秋雄)のほかに2人の男がいるが彼らは何をしているのか新太郎はわからない。翌日?突然男たちが姿を消した。その後、新太郎は警察へ連れていかれ、闇物資を運ぶ違法な船?だと聞かされた新太郎だが、東京まで帰るお金は持っているからと言っても、子供を一人で返すわけにはいかないと警察?収容施設?の長から泊まっていくようにいわれてしまう。

夜中、こっそり抜け出した新太郎はひとり、朝雲が出品した博物館に行くが朝雲の姿はない。

 

一方、東京の新太郎の父母は、彫刻を彫った朝雲と連絡をとり、行方を追って新太郎が留め置かれた警察署?施設?に行くも新太郎はまたいなくなっていた。しかし朝雲は新太郎は東京へ行ったのだピンときて博物館へ3人で戻る。夜も更け、誰もいない博物館の外にいる新太郎・・・駆け寄る朝雲と母、そして父との再会。

 

このシーンで印象的だったのは閉館間際に博物館に入った新太郎が追い出され、その後博物館の入り口が閉められるのだが守衛が一枚、一枚扉を閉めていくところに子供の影があって芸術的だった♪

 

ま、この映画を通して何が言いたいのかというと、天は広いのだ、将来は明るい!みたいな子供にキボーを持たせる物語なのです。

 

松竹より

真藤孝行という子役、なかなかハンサムだし演技もうまかった。

彼は昭和32年から37年まで「少年」という雑誌の表紙を飾ったモデルさんでもあるらしい。その雑誌を見たけど、確かに美少年。少女雑誌のグラビアでも登場。

推測によると彼は昭和23年前後の生まれのようだからもう後期高齢者だよね。

 

九条映子という女優さんは寺山修司と結婚(その後離婚)。

山崎猛という俳優さん、最近見ないなぁと思っていたら2008年に63歳で没。

 

松本克平のズラ感は半端なかった(笑。

 

スカパーより