日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

死刑囚の最後の瞬間  角川文庫 大塚公子 

「按摩と女」の舞台の塩原温泉で思い出した「日本閣殺人事件」。

小林カウのことをwikiで調べていたら、大塚公子氏が書いた「死刑囚の最後の瞬間」からの記述を引用していて俄然興味がわく。購入も考えたが図書館で検索してみるとなんと近くの図書館にあったのですぐに借りられた♪

 

この本では死刑囚が起こした犯罪から拘置所での様子、そして死刑執行にいたるまで書かれているが刑務官などにインタビューしてまとめたのだろうと思う。インタビューに応じてくれないのは教誨師の人たちで、さすがに宗教家だけあると思った。

 

大塚公子は死刑廃止論者であるが、このドキュメンタリーには彼女がそうであると思わせる記述は感じられなかった(そうでなければドキュメントとは言えないし)。

ただあとがきでははっきり死刑廃止論者であることが書かれている。

 

彼女のもうひとつの著書「57人の死刑囚」ではかなり自分の意見が書かれていてはっきりと死刑廃止論者であることがわかる。

彼女はしきりと改心した死刑囚を「こんな若者を生かさないのはおかしい」とか「終身刑をつくれ」とか「死刑がある日本は恥ずかしい」とか言っている。昔は死刑執行が前々日なんかに言い渡されていたらしく、死刑囚とその家族との今生の別れ場面なんかも書かれている・・・が!

ひとつ忘れてないか?被害者の存在を。

人が人を殺すのはオカシイという死刑廃止論者は言うが、加害者は被害者を”死刑”にしたわけで、加害者の欲望を満たすためにある日突然殺された被害者はどーなるの?彼らは親族と今生の別れもできず、好きなものも食べられず恐怖と苦痛の中に死んでいったと思うんだよね。死刑囚で多いのは強盗殺人、婦女暴行殺人などで特に婦女暴行は大久保清はじめ数人の女性が被害者になっている。(これで死刑にならなきゃオカシイです)

死刑囚の中にはひとりを殺して死刑となった人がでてくるが、彼は前にも人を殺し、無期懲役で服役、その後15年ほど経って仮釈放で出所、そしてまた殺人を犯し、結果死刑囚となるんだけれど、大塚公子氏が言うのは最初の殺人で仮釈放させなければその後の殺人も犯さなかった、だから終身刑をつくれ、あるいは服役しても結局罪をまた犯すのは刑務所の教育が?いけない・・といったようなことを書いている。

んー、ちょっと疑問。

終身刑がないのは国の戦略?なのでは?

この本が書かれた30年前と違って、今は無期懲役で10年、15年で仮出所など絶対できないけれど、

(有期刑の最高が30年になったから無期懲役はそれ以上の服役)囚人からしてみれば終身刑は死ぬまで絶対でられないが無期懲役なら仮出所できるかもしれない、なんて想像してなんとか穏便に模範囚として過ごそうとする人だって多いと思う。とりあえず被害者のことを考えたり、反省したりする態度はみせるんじゃないか(本当に反省しているかはべつとして)。仮釈放目指して希望がもてれば自殺もしないだろうし。

前にも書いたけれど、女性で無期懲役で服役している人たちのことをテレビでみたけれど、彼女たちはやれ白髪を染めたいだの、化粧品が足りないだの、はやく出所したいだのそんな不満ばかり言っていた。無期懲役になるくらいだから人殺しにしてもかなり自分勝手な残酷なことをしたんだろうと思う。被害者のことなど忘れてるようだった。

 

人を殺して自分は死刑制度に反対?って言える死刑囚。人間てやっぱり自分勝手なんだな。

以上 独り言でした(腹立たしかったので血圧があがってしまいました 笑)