日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

東京から荒川に架かる橋を渡らない その2

思い立って初日に行ったのが戸田橋と荒川大橋でした。その日5月24日は晴れていましたが風は冷たくて強め。歩くには最適な日でした。

 

戸田橋へはバスの舟渡町で下車します。こっちのほうがなんか東京の最果て感を感じたのはずいぶん長く路線バスに乗っていたからでしょうか。バスから降りると海の匂いがしましたが勘違いでしょうか。

 

バス停からは意外に近く土手に上がる前のトイレに立ち寄りました。

板橋区船渡町

あっけなく戸田橋に到着しましたが、なぜか「荒川」としかない可哀そうな戸田橋(笑。

戸田橋じゃなくて荒川?

新河岸川が蛇行して船渡町交差点より手前に流れており戸田橋は純粋に荒川のみに架かっていた。

戸田市方面を望む。右は新幹線と埼京線とかの鉄橋。

荒川って緑地が広いから土手からでも川はほぼ見えない。荒川大橋まで50分ほど歩くので土手をくだって・・・という発想はない(笑。

 

荒川大橋を目指す途中で中山道、戸田の渡し跡の石碑がある。なんか小さくて存在感がなかった(;^_^A

戸田の渡し跡

左手前方は川口のマンション群。川口は工場が多かったのでこのようなマンションが建てやすかったんだろうと思うけれど、京浜東北線しかないから朝のホームはたいへんだろうな。

 

戸田から荒川大橋方面

荒川の下流三十景の看板。すでに浮間(北区)その25だそうです。

その25

しばらく行くと新河岸川が右側に現れる。

新河岸川

見えてきました荒川の鉄橋が!左は川口。なぜか川口方面のほうが都会っぽい(笑。

左の鉄橋がかかっているあたりが荒川。この辺りの緑地が広大。

 

荒川

こちらが新河岸川

右が赤羽

新河岸川の鉄橋下をくぐる。もうこの辺りで身体はヘロヘロでした(笑。

こちらは歩く人も自転車の人も皆無。遠くにひとりだけ男性が歩いていたのでこのまま行けるんだと思った。

遠くを行く男性の後をつけw、このまま行けることを確信。なにせ江戸川みたいに突然くぐれなかったりするんで。グーグルマップは車で行けるところなら詳しいがこういったところでは使えないのだ。前方に荒川大橋が見えてきました。

 

荒川大橋荒川大橋と言ってましたが、正式には「新荒川大橋」なんですね~。

ってことは戸田橋って荒川大橋なんだろうか・・・。東京都側はとにかく「荒川」としかないんだけど。

新河岸川に架かる新荒川大橋(笑

新荒川大橋をくぐって土手にでてこれが荒川に架かる新荒川大橋です。

前方が川口のマンション群

足立区方面

 

荒川

橋を渡って赤羽へでて帰路についた。で橋の袂にあるだろう看板を撮るの忘れました(笑。

おまけ 岩淵に残る銅板の家

どっこい生きている建物。いつまで残るのだろうか