日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

一人息子  1936年 松竹

監督 小津安二郎 脚本 池田忠雄 荒田正男 原作 ゼームス・槙(小津安二郎

出演 飯田蝶子 日守新一 坪内美子 吉川満子 突貫小僧 笠智衆 葉山正雄

   高松栄子 浪花友子 爆弾小僧 

飯田蝶子日守新一

 

小津安二郎の初トーキー作品。苦労して学問をさせた一人息子だったが、母が期待したほどの出世もできず、息子もそんな自分を恥じて嫁ももらったことも、子供が生まれたことも報告していなかったがある日ひょっこり母が上京する。

これが後の東京物語となるんでしょう。日守新一が新婚の息子役だからいかに古いかがわかる。1936年と言えば私の母が生まれた年だ。

 

飯田蝶子・高松栄子

 

信州。おつね(飯田蝶子)は製糸工場で女工をしながらひとりで息子、良輔(日守新一)を育てている。中学校へ良輔をやる余裕はなかったが、良輔の強い希望をききいれ、大学まで出した。東京で役所勤めだという息子を訪ねて、おつねははるばる上京する。ここまで息子を育てるために、おつねは家屋敷や畑を売り、年老いた今は製糸工場の雑用をして住み込んで働いているのだ。

向かえに来た息子と楽し気にタクシーに乗り、着いた先で初めて良輔が嫁をもらっていたことを知る。それどころか男の赤ちゃんまで生まれていた。

坪内美子

良輔は母を東京見物へ連れていくが、夜学で数学の教師をしている。

生活は厳しく、同僚にお金を借りて工面する息子。

住んでいるところも場末の借家で、おつねは少しがっかりする。

翌日、おつねは良輔の小学校時代の恩師、大久保先生(笠智衆)のところへ連れて行ってもらう。大久保先生はもっと勉強がしたいと13年前に東京へ行った。どんなに出世しているだろうと行ってみると、なんと「とんかつ屋」を営んでいた。

飯田蝶子日守新一笠智衆

 

とうとう母をもてなすお金も底をついたが、杉子は自分の着物を売ってお金を工面し、これでおつねと観光してくれという。そこで良輔は杉子も一緒におつねと出かけようとした時、近所の奥さん、おたか(吉川満子)の息子(突貫小僧)が馬にけられて病院へ。おたかも内職で子供ふたりを育ている女で医者へのお金がない。そこで付き添った良輔は杉子が工面したお金をおたかにあげてしまう。

 

観光につれていけなくて謝る良輔におたねは良いことをした、出世なんてしてもらうより嬉しいというおつねだった。

・・・信州へ帰ったおつねは古くからの同僚(高松栄子)に息子が出世していたというが、最後の終わり方として、やはりおつねの心中は複雑のようだ。

なんとも皮肉な物語ですが、まぁ、殆どの子供は親の期待にそぐえず、こんな感じでしょうという現実的なお話でした(;^_^A。

この時代、日守新一の年代だとその後、戦争に徴収されただろうと思われます。

果たして生きて帰って来れたのか?その後作品があったらよかったと思います。

飯田蝶子 なんとも言えない複雑な表情でおわる

 

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