日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

傷だらけの天使  1966年 日活

監督 吉田憲二 脚本 棚田吾郎 原作 西郷輝彦

出演 西郷輝彦 松原智恵子 荒木道子 楠田薫 永田靖 五月女マリ 塚本信夫

   野呂圭介 武藤章生 嵯峨善兵

www.nikkatsu.com

日活より

土曜朝のウェークアップという報道番組でかの斉藤元兵庫県知事が出演した回があった。中谷しのぶという可愛い顔したキャスターがまるで犯人を取り調べる刑事のような面持ちでインタビューしていた。どや顔の公開取り調べ。あの顔はまるで自民党の某女性議員のようないじわるな顔だった。

しかし今、色々なことが明るみに出て音声もあるのに、一切報道しない。おかしくないでしょうか?印象操作を散々行っていたマスコミ。後で真実がわかっても「報道しない自由」ですか?それとも英BBCが真相を明らかにするような報道をしたら慌てて謝るつもりなのか?(笑。私は兵庫県とは関係ないけれど、最初にオカシイと思ったのが”一自治体の長のこと”で延々と毎日のようにテレビで取り上げたということ。とにかくマスコミがこれでもかっ!と報道する場合はなにか裏があると思っています。で、真実は報道しないでそれっきり。私は怒っている。

 

西郷輝彦松原智恵子

傷だらけの天使」といったら、ショーケンのテレビドラマと思う年齢ですが、1966年に同名な作品があったのには驚き。しかも西郷輝彦の歌もある。

 

高校生だった八郎(西郷輝彦)は喧嘩を売られた相手に重傷を負わせ、少年院送りとなった。2年後、少年院を退所したした八郎は指宿に戻ったが、街の人間は冷たい。

元々、大きな旅館を経営していた八郎の父は亡くなり、母(荒木道子)は使用人だった一家の家に間借りしている。父の旅館は同業者だった雨宮(永田靖)に取られホテルとなった。雨宮の娘、佳代(松原智恵子)とは幼馴染だった八郎。彼女は短大へ行っている。帰ってきた八郎に声をかけたのは佳代だけだったが、雨宮夫妻は八郎に会ってはいけないという。八郎の姉、澄子(高須賀夫至子)は雨宮の長男と結婚するはずだったが、八郎のことで別な女性と結婚することとなりそれを苦にして自殺した・・とされてはいるが、八郎は真相を聞きに雨宮夫妻の元へ。彼らは雨の中外でたたずんでいた澄子を運転手に送らせたというが、その運転手はもういないという。

荒木道子松原智恵子

 

八郎は街をでる決心をする。そこでトラックの運転手をしている同級生だった羽柴(武藤章生)から自動車修理工場を紹介され東京へ。良い人たちに囲まれ八郎は一生懸命働く。

一方、佳代は家出して東京の八郎を訪ねる。彼女の決心は固く、東京で働くというのだが、そこへ指宿から雨宮の元で事務をしている飯野(草薙幸二郎)が佳代を探してやってくる。

自動車修理工場の仲間と

なんと西郷輝彦が原作を書いたという。西郷輝彦といえば、舟木一夫橋幸夫の御三家のひとり。西郷輝彦というと私は「どてらい男」というテレビドラマと辺見マリを思い出します。

ディリー新潮より

 

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