日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

ウナ・セラ・ディ東京 1965年 松竹

監督 番匠義昭 脚本 山根優一郎

出演 鰐淵晴子 園井啓介 久保菜穂子 待田京介 山形勲 穂積信隆 野々村潔

   吉田裕一

 

スカパーより

 

歌謡映画ってつまらないので録画はしたが放置していた作品だったが・・・

 

なんとフルことはあってもフラれることはないであろう鰐淵晴子が北海道まで園井啓介を追っかけて愛の告白をするもフラれてしまうという予期せぬ結果に!

謎解きミステリー風な流れも面白く映画冒頭から飽きなかった唯一といってよい歌謡映画♪♪

 

旅行会社に勤める涼子(鰐淵晴子)。偶然羽田空港で一年前にニューヨーク行きを世話した女性が自殺し、その夫でニューヨークに赴任していた藤岡(園井啓介)が妻の遺骨と共に日本に帰ってくる現場に居合わせた。

どうも涼子はここで藤岡に一目ぼれ?したらしいのだがいつ藤岡を愛してしまったのかはこの映画でははっきりしないのがちょっと不満だ。

 

藤岡の妻は藤岡の勤める貿易商社(映画でこう言っている)の常務(山形勲)の一人娘(だった?)が藤岡が2年前にニューヨークに赴任しその一年後に彼女はニューヨークへ行ったが、住まいのマンションから投身自殺したのだった。

藤岡はなぜ妻が自殺したのかよくわからない。

妻の同級生で今は銀座でバーを経営する千春と生前彼女は文通しており、なにか事情を知らないか・・・と千春を訪ねるが、なんの心当たりもないと言われる・・・。

 

藤岡と結婚当初、妻は楽しそうであったのに、ニューヨークで一年ぶりに会った妻は暗く沈んでいてので藤岡はなにかあると思っていたのだ。

 

千春(久保田菜穂子)は藤岡の貿易商社の大株主の愛人だが、藤岡の同僚で別の部にいる堀川(待田京介)ともつきあっている。堀川は藤岡の妻になった高子と恋人同士であったが、高子の父が藤岡の働きを気に入り半ば強引に結婚させたのだ。しかし藤岡がニューヨークに行ったあと密かに付き合いをつづけており、一年後、高子がニューヨークへ行ったあとも千春を通じて手紙のやり取りをしていたのだった。しかし堀川は高子に手紙の返事をださなくなり高子はそれを気に病んで命をたっていた・・・。

 

商社内では高子の父の中島常務と堀川の部の海老原常務との間で次期社長の椅子の争いがおきていたが、中島常務に分があるようで彼は娘婿だった藤岡に英国転任を命ずるのだった。これは栄転である。

その手続きを涼子が担当することになり、藤岡と打ち合わせしているうちに二人は親しくなっていく。涼子はお金を貯めて一年後くらいには欧州へ行きたいと思っており、藤岡に英国で会いましょうと積極的に誘ったりする。

一方、涼子には両親に気に入られている男友達の岸田(吉田裕一)がおり岸田は涼子と結婚する気満々だ(笑。涼子の父親とは碁をさす仲で(将棋だったかな)、よく涼子に家へ行っており、田舎から岸田の母がでてきた時は涼子を紹介している。

 

堀川は千春から結婚してくれと言われるが全くその気はなく、伊東温泉で千春に別れ話をきりだす。千春は自分はただの遊びだったのだと堀川と別れるがたまたまホテルにいた千春をみた大株主の部下が千春の部屋のことをフロントに尋ねると「藤岡」と言う方と二人で泊まっていると言われ、大株主で千春の面倒をみている男にご注進。

堀川が藤岡の名をかたってホテルに泊まったのだったが、勘違いされた藤岡はそのために大株主の怒りを買い、さらに中島常務も巻き込んで次期社長は堀川の部の海老原常務と決まってしまう。そして藤岡はアフリカへ赴任を命じられるが中島常務も藤岡をもうこれ以上守り切れないのだった。

 

急遽、英国行の手配は取りやめとなり、藤岡は赴任前に兄のいる北海道へ旅立つ。

それを知った涼子も北海道へ!ちょうどさっぽろ雪まつりの期間で涼子は藤岡の案内で札幌近郊を見て回る。涼子のために藤岡は時計台近くのホテルととっていたが、彼は兄のところへ毎晩帰るという品行方正な男だ(笑。

涼子がきて3日目、藤岡は千春から速達を受け取る。そこには妻に関する秘密が書いてあった。そこへ本社から連絡があり帰ってくるように言われる。

その晩、涼子は藤岡が好きだ、と告白するが藤岡は去っていく。

それでも涼子は帰る時は藤岡と一緒に帰ろうと4日もらった休暇を伸ばそうと考えるが翌朝、藤岡は涼子には何も言わず東京へ行ってしまう。置手紙にはもうお互い会うのはよしましょうと・・・涼子はフラれちゃうのだ。

 

ひとり東京へ帰った涼子。岸田がまた来ており、母親にも岸田との結婚をほのめかされるが涼子は岸田とのことはきっぱり断って欲しいと態度をはっきりさせる。

 

え?藤岡にフラれちゃったのに?私ならしょうがないから岸田と一緒になる(笑。

 

社に帰った藤岡。千春は堀川とのことを世話になっている大株主にぶちまけ、お金をだしてもらったバーもアパートもなくなって心機一転生きていく決意をする。

 

そのことで大株主の誤解がすっかり解け、藤岡は中島常務からアフリカには行かなくてもよいと言われるが、藤岡はアフリカへ赴任する決心をつけている。

堀川のアパートに行くとその件で会社をクビになった堀川が酔って寝ていた。

妻を自殺に追い込んだのはお前だと藤岡は堀川に襲い掛かるが、堀川に自分だって常務に高子との仲を引き裂かれたのだと言われると何も言えない藤岡だった。

 

アフリカに行く日。担当だった涼子の代わりに旅行社の同僚が藤岡を見送りに行く。

涼子は旅行社で仕事をしていると藤岡さんを見送りにいかないのか?と訊かれる・・・

そこへ藤岡から電話があり、じぶんも涼子を愛していたと言われた涼子は

(ここで言わずに北海道で言え 笑)

 

矢も楯もたまらずタクシーを捕まえ羽田空港へ急ぐ涼子!初乗り100円とあった(古。

 

すでに飛行機に乗ってしまった藤岡・・姿はわからないが必死に手をふる涼子であった。

 

確か1970年頃に小学校で羽田空港へ見学に行った。まさしく映画にでてくるみんなが見送る場所(なんていうの?)へ上がってJALの飛行機727だったかを見た。

ワタシの将来の職業は国語の先生かスチュワーデスだった(1972年当時)。

アテンションプリーズとかいうスチュワーデス物語をテレビで見たせいかもしれない。

主役の紀比呂子のミニスカートのユニホームは覚えている。彼女の母が三條美紀なんだね。

国語の先生というのは国語(の授業)が好きだったから。

どっちにもなってないが(笑。

 

古い邦画だと海外行きの飛行機はSAS(スカンジナビア航空?)とかパンナムだったけど60年代も半ばを過ぎるとやっぱり日本航空全日空っていうのは東亜国内航空?だったのか国内だけ飛んでいて、とにかく日本航空がナンバーワンだった。

初めて行ったハワイ。もちろんJALです。昨今、円安だと大騒ぎされてますが1979年当時、一ドル210円だった記憶がある((;'∀'))。

 

この映画、やれニューヨークだ、イギリスだ、アフリカだという割には海外ロケはない。そのかわり北海道のさっぽろ雪まつりはロケ。1964年に開業した新幹線の雪の像があった。

東京の首都高も高層ビルはなく、道路もガラガラだ。

松竹より