日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

その夜は忘れない 1962年 大映

監督 吉村公三郎 脚本 白井更生 若尾徳平

出演 若尾文子 田宮二郎 角梨枝子 中村伸郎 川崎敬三 長谷川哲夫 江波杏子

   穂高のり子 若松和子 

 

 

勢古浩爾氏の「定年バカ」があまりにも面白くて「続 定年バカ」も図書館で借りてしまいました。

家でユーチューブやアマゾンプライムビデオ鑑賞してる日々ってだけでいいのか??と自問自答していたんですが彼は「それでよいのだ」とバカボンのパパのように言ってくれます。

日々、モヤモヤして自分も何か成し遂げないと・・・と思っているそこのあなた!

読む価値あります(笑。

午後はまた「続 定年バカ」を読んでこれまでの自分を笑いたいと思います。

 

 

広島系の作品は重すぎてあまり語りたくないというのが本音です。ただ若尾と田宮の悲恋が絡んでいるのはやっぱり大映ですね。

 

東京の雑誌記者、加宮(田宮二郎)は原爆投下から17年を迎えた特集号の取材のために広島へ。

現地には加宮の友人で脚本家?の菊田(川崎敬三)がおり、夜に菊田のなじみのバーへ連れていかれた。

そこでママのあき(若尾文子)と知り合った加宮は翌日、原爆症を研究しているという米国が作ったABCCという施設へ行く。

タクシーから降りるとなんとあきがもう一人の女性と歩いていた。

角梨枝子・若尾文子

ここへ何しに来たのか?と訊いた加宮にあきはお客様の集金だと答える。

加宮が六本指の赤ちゃんを産んだ女性を探しているというとあきは「ずいぶん残酷ね」と言うのだった。

加宮が取材した女性たちは顔にケロイドがあってももう原爆はなかったように明るかった。広島の町も人々もまるで原爆を忘れてしまったようにみえる。

六本指の赤ちゃんを産んだ女性も消息不明でもう東京へ帰ろうと思った加宮に菊田がその女性が安芸津にいるらしいと情報をくれる。

その夜、バーあきへ行ったがママはいなかった。従業員の話ではママは土曜日は休みでどこに行くのかわからないと言うのだ。

 

安芸津へ行き、女性の実家を探し当てた加宮だがっその女性の母親が赤ちゃんは1年前に死んだという。せめて女性に話を聞こうとすると奥から父親がでてきて来るなと言われる。

ひとり港で海をみているとなんとあきが立っていた。

あきは毎週土曜日に友人の多津子の置屋へ泊りがけで来るというのだ。

若尾文子田宮二郎

冷房もない部屋で汗をかいている加宮にあきは上着とワイシャツを脱げという。

加宮は多少躊躇しながらワイシャツも脱ぐが、若尾文子に脱げと言われたら脱いじゃうよね~。

帰りの列車の中で加宮は自分があきが好きだと(多分)確信するのだ。

 

明日は帰るという夜。加宮はバーを訪れる。そこにはあきと知り合いなのか業界紙の男だという金子(長谷川哲夫)がいた。金子はあきを呼び寄せると金の無心をする。

あの男はいったい彼女のなんなのだろう???

そこへ加宮が泊まっていたホテルでみた女が現れ、金子はあきからさきほどもらった金の一部を渡していた。あきが金子と口論をはじめ、割って入った加宮、そして店をでる。

この後、泣いてしまうシーンがあるのです。

広島の石とあきの身体のケロイド。

それでも加宮はあきを東京へ誘う。君のことは一生守るというのだ!

すぐに東京へ行こうという加宮だがあきは少し考えさせてくれといってその夜は加宮だけ東京へ帰った。

秋になった。ある日加宮があきに出した手紙が宛先不明で戻ってきた。

 

驚いて広島へ行く加宮だがバーにいたのは新しいママ(若松和子)だという女。

そこで安芸津置屋を訪ねる加宮にでてきた多津子の口からでたのはあきが死んだということだった。

 

最後はあきが広島の石だと言った河原?満潮だったが加宮は石を拾って握りつぶし男泣きに泣く。

なぜか最後のこのシーン、フェデリコ・フェリーニの「道」を思い出しました。

アンソニー・クインも男泣きでした。それ以来私は彼がイタリヤ人だとずっと思っていましたが、なんとメキシコ系アメリカ人だったんですね。

 

映画最初の頃のシーンでドームのそばで土産物屋?をしている店主は吉川清さんという人で、彼は「広島は原爆を売り物にしている」とアメリカのタイム誌に載っていたというそれでも商売をするのは原爆の恐ろしさを知って欲しいからだと言ってドームを指さすシーンがある。

 

原爆ドームを訪れた外国人に土産物を売る吉川氏

 

 

田宮二郎・吉川清氏

当時の広島の街もかなり映像で残されています。

田宮二郎が泊まっていたホテル

比治山からみた広島の街