日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

清水昭 太平洋テレビジョン 覚書

清水昭 コトバンクより

昭和期の実業家 元・太平洋テレビ社長;クラブ「あぽろん」経営。

●実際は「あぽろん」 ではなくて 「あぽろン」

●あぽろンの所在地

1.昭和四五年四月から同四八年五月末まで東京都中央区銀座六丁目六番九号ソワレド銀座ビル七階

2.昭和四八年六月から同六〇年六月末まで同区銀座五丁目九番一二号ダイヤモンドビル地階(本社と同住所)

3.昭和六〇年七月一日から今日まで同区銀座八丁目六番一八号ポルシェプラッツビル四階

※東京地方裁判所 昭和59年(ワ)6181号判決文より

東京地方裁判所 昭和59年(ワ)6181号 判決


生年
大正13(1924)年4月5日

没年
昭和63(1988)年3月29日

出生地
北海道余市郡余市町

学歴〔年〕
北海道大学法学部〔昭和26年〕卒

経歴
GHQ通訳、南条徳男衆院議員秘書などを経て、昭和32年太平洋テレビを設立。34年「ローハイド」、35年「ララミー牧場」を輸入して、大ヒットした。37年脱税の疑いで逮捕、起訴されたが、一審、二審ともに無罪。逆に39年、一連当局の処置の責任を問い、国家賠償請求訴訟を起したが、62年12月東京地裁敗訴。控訴中に死去した。梶山季之「赤いダイヤ」の主人公のモデル。銀座のクラブ「あぽろん」店主でもあり、命日に「あぽろん忌」が営まれている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

●とあるが、梶山季之「赤いダイヤ」の主人公のモデルとあるがこれは違うだろう。

日経新聞によると

相場の失敗にめげず、甘栗で大成 北沢重蔵氏
鍋島高明・市場経済研究所代表

(1/4ページ)
2013/3/16付
日本経済新聞 電子版

梶山季之の相場小説「赤いダイヤ」の主人公森玄一郎は「甘栗太郎」こと柴源一郎がモデルである。柴は戦前、中国大陸で甘栗太郎・北沢洋行の店員として主人の北沢重蔵に仕えた。柴が戦後の穀物先物市場で小豆を買い占めるに当たっては作況を調べ上げた。その徹底した事前調査は北沢から仕込まれたものだった。

とある。

●清水昭氏のいとこである「井上」という人に会社を手伝わせていた。

母方か父方かたは不明

 

 

清水昭が登場する雑誌

文藝春秋 1959年7月号 240ページから274ページに手記が載っているらしい。

あるサイトでその転載を読んだが、なぜか途中で途切れている。

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実物の写真  文藝春秋 1959年7月号

 

週刊朝日 1960年 2月14日号 太平洋テレビという会社

 

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実物の写真 週刊朝日 1960年2月14日号

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清水昭氏

 

↑の記事より

●北海道余市町の肥料屋の次男である。

●北大在学中「大学復興のために財界をまわって資金を集めた」(清水氏本人弁)

●札幌の繁華街すすきのでバー「竹むら」を営むが仲間をつれて界隈のバー、キャバレーを飲み歩き借金だらけで昭和31年に東京へ逃げ出した(地元の同業者の弁)

北海道大学法学部卒業後、(昭和27年)東京へ行くまで(昭和31年)の4年間がわからなかったがバーを経営していたのか・・?

 

週刊文春 昭和35年2月8日号 太平洋テレビの反乱ー足元に火がついた青年興行師ー清水昭 

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週刊文春 昭和35年2月8日号 フリッカーより

●週刊東京 1959年10月 特集2 電波を食う影武者ー太平洋テレビの清水昭

国立国会図書館によると東京新聞社から1955年からの週刊誌で1959年で廃刊とあります。

 ● 大衆文藝 昭和34年8月号に出した広告

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大衆文藝 昭和34年8月号 表紙

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大衆文芸に出した広告 

週刊文春 昭和37年5月7日号 河井信太郎と清水昭氏の写真が載っているらしい・・

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昭和37年5月7日号 週刊文春

●週刊大衆 昭和42年9月7日号 オレは誇り高き喧嘩師 清水昭

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週刊大衆 昭和34年8月号

 

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週刊大衆 記事 オレは誇り高き?喧嘩師 清水昭

●宝石  昭和50年11月号 国税庁とのわが闘争13年間 清水昭

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p88から101まで 1975年当時の清水昭氏の写真掲載。

スタジオボイス 1984年9月号 Vol.106

たった一人の叛乱 真実編/猪瀬直樹

真実編とあるからには 猪瀬氏のインタビュー本よりもっと深いことが書いてあるのだろうか・・・

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メルカリより 売り切れでした・・・。

●フライデー 1986年 8月15日号

「50億円の賠償」要求して国を相手に22年 元太平洋テレビ社長 裁判費用の捻り出し方

ララミー牧場」などで大当たりした清水昭氏(62)62「酒とバラの日々」と怨念と

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p50-51に掲載

週刊女性 1971年12月25日号(15巻 55号 通巻732号)

これには嵯峨三智子が所属していた太平洋テレビの清水昭氏への決別の手記が載っている。嵯峨三智子は清水氏が経営するクラブあぽろンでホステスをしていたが1971年11月12日に借金を残したまま(清水氏に対する)失踪、その後の手記。

 

週刊女性 1972年1月1日号(16巻 1号 通巻733号)

嵯峨の手記に対する清水昭氏の手記が載っている。

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ヤフオク写真より

国税・検察の黒い霧  1976年 高田茂登雄

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●二度目の仕事ー日本凡人伝 猪瀬直樹

 

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図書館で借りる 

 ●夜を創った男たち 黒服王 奥澤健司/倉科遼 著 2008/10/18

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 ●↑の本によると北大在学中から「北大にカミソリの清水あり」と言われるほどのキレ者だったとある

●激闘!闇の帝王 安藤昇 さくら舎/大下英治 著 2016年

安藤昇が所属したプロダクションは清水昭氏 太平洋テレビのプロダクションだった。

当時 嵯峨三智子も所属しており、そこで清水氏から紹介されて安藤昇に会った嵯峨は安藤昇に惚れてしまい・・・安藤昇も嵯峨のかなり面倒をみたというが・・。

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第14章 破天荒ー俳優安藤昇の大ブレイク p276以降 清水昭 登場

●映画俳優 安藤昇

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ページ130 太平洋テレビの専属俳優になる

 

インターネット

●日俳連

前史ーその1 日本俳優連合30年史

 

日本芸能マネージメント事業者協会会報 秋季号 Vol.8

[加藤元事務局長に聞く 歴史から学ぶこと] ◇インタビュアー 豊田紀雄

 

●東京地方裁判所 昭和39年(特わ)483号 判決

東京高等裁判所 昭和47年(う)482号 判決

 

 

●東京地方裁判所 昭和59年(ワ)6181号 判決

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清水昭氏 1980年代?60歳前後

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清水昭氏 1980年代?清水昭氏自身の経営するクラブあぽろんにて

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清水昭氏 1980年代?清水昭氏自身の経営するクラブあぽろんにて

 清水昭氏について語る猪瀬直樹のインタビュー映像 18:15から23:53まで

www.youtube.com