日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

愛妻物語   1951年 大映

監督 脚本 新藤兼人

出演 乙羽信子 宇野重吉 英百合子 大河内伝次郎 菅井一郎 殿山泰司

   清水将夫 滝沢修

 

新藤兼人の自伝的物語だという。そして新藤兼人の監督デビュー作だというのだが。

 

脚本家を目指す若き宇野重吉(この人、若いんだけどなんとなくおじぃさん臭いのはなぜ?)とその恋人で結婚を父に反対され家をでて暮らし始める乙羽信子の物語。

退屈で先が読める物語なのは自伝だからか?戦争中、亡くなった奥さんがモデルらしいのだが、(多分)3人の妻に全員先立たれ、すごーく長生きした新藤兼人サン(100才)。

 

昭和17年、太平洋戦争に突入した日本は映画製作の数も減り、東京の映画会社をクビになりそうな脚本家の卵の宇野重吉。下宿先の娘と結婚したいがヤクザ家業だと思われている映画関係者なので娘、乙羽信子の父に反対され、逆に下宿を出るはめに・・。

それを追って家を出た乙羽信子。東京では暮らせないので知り合いのいる京都へふたりで移住する。

映画会社の清水将夫に頼んで脚本をかかせてもらうことになりホットするふたり。

隣には感じのよい妻と無口な友禅染の下絵描きの夫、殿山泰司が住んでいる。

 

この脚本が採用されたら奈良へ行こうというふたり。

 

そこへ折口監督(滝沢修)の依頼で脚本を書くことになった。

しかし、折口に脚本になっていないと言われ、清水将夫からも引導を渡されてしまう。

自分の将来はなくなった・・と落ち込む宇野を乙羽は励まし、自ら映画会社で直談判をして一年間の猶予をもらうことになった。

そのやりとりを垣間見る折口監督・・・。

 

この折口監督、溝口健二のことだと思うけれど、新藤兼人って溝口健二が徹底的に嫌いだったのではないのか??と思うのは、やたらと溝口と田中絹代の仲を突き止めようとしたから(笑。ある映画監督の生涯や小説 田中絹代でもねちねち取材している。

 

乙羽信子宇野重吉と抱き合って泣く場面があるが、おかめみたいな顔をするわりには涙が一切こぼれていなくて、これ、絶対新藤兼人がやらせたよね!と思った(笑。

 

夏が過ぎ、冬になった。

溝口の映画の脚本をまた書くようにいわれはりきる宇野。

しかし何度も何度も書き直しを命じられる。

それでも最後までもがんばる宇野であった(笑。

 

その間、乙羽は咳をするようになる・・・

もう、ここでどんな展開になるのか想像するのは易しい・・。

 

途中、途中で戦時下で学徒出陣する兵隊姿の息子と母や空襲警報やらが挿入される。

 

で、おきまりの乙羽は血を吐いて寝ついてしまう。

 

その間も折口監督から脚本の書き直しを命じられ・・・

 

で、乙羽は死んでしまう。

 

で、(で が多いでしょうか?笑)

乙羽のいなくなった部屋には乙羽の浴衣がある・・・。

写真の乙羽が映され(えくぼが可愛い)、宇野に「お元気でね」と声をかけるのだ。

(退屈な映画だったが、ここではちょっと涙ぐんだ 笑)。

 

ところで大河内伝次郎ってどこででていたのでしょうか?

 

f:id:nihoneiga1920-1960:20210127110427j:plain

wikiより