日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

その後の蜂の巣の子供たち 1951年 新東宝

監督 清水宏 脚本 清水宏

出演 大庭勝 原田三夫 宗秋月 谷紀男 馬場信衛 御庄正一 日守節子

   大辻名名 田島エイ子 船山源之助

(子供)岩本豊 久保田晋一郎  三原弘之 千葉義勝 中村貞雄 川西清 硲由夫

   平良喜代志 岩林令子 麥田シゲ子

 

nipponeiga.com

 

オークフリーより

 

蜂の巣の子供たちのまさしくその後。伊豆の山奥で自給自足の生活を送っている。

唯一の大人である大庭勝という人は前編と同一人物のようだが、前編では岩波大介という名前で出演。こちらのほうが本名で大庭勝というのは芸名?なんだろうか。しかし、彼はその後、映画出演もなく不明。

映画ドットコムでは途中で訪ねてくる雑誌社の休暇中だという女性二人が一人は日守新一の令嬢、節子、そしてもう一人が大辻司郎の令嬢、大辻名名だとある。

さらに子供を訪ねてきた熱海市長は当時の本当の市長、宗秋月。子供を教える先生が原田三夫という学者が出演。まぁみんなセリフは棒読みだけれど(笑。

 

物語は伊豆の山奥で自分たちの住まいを開墾している蜂の巣の子供たちを雑誌社の女性が訪ねてくるところから始まる。夜、みんなを集めて雑誌の記事を書くために話をきくがなんとそこには前回、死んだヨシ坊がいて、彼が言うには背負われているうちに寝てしまったら映画では死んだことになっていた・・・なんて言っている(笑。

 

子供たちの中には女の子がいてこれは前回とは違う。

面白いのは多分これは実話を基にしたんだろうと思うが、前回の映画のあとマスコミで報道され、たくさんの人が訪ねてきて働かせてくれというところ。

 

映画の後半では蜂の巣の子供の知り合いの少年が蜂の巣で暮らすようになるが、少しすると彼らはみんなの洋服?をもって逃走してしまう。そして彼らの責任を持つと言った子供がみんなに責められて責任を感じ、ひとり熱海から上野、銀座を探し回る。

その子の行方を追って大庭ともう一人、大阪出身の子供が少年二人が大阪へ行くと言っていたのを知り、大阪へ。その時のロケがよかった。

衛星劇場より 本物の熱海市長 宗秋月