日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

越前竹人形 1963年 大映

監督 吉村公三郎 脚本 笠原良三 原作 水上勉

出演 若尾文子 山下洵一郎 中村玉緒 中村雁治郎 殿山泰司 浜村純

   西村晃 村田扶美子 嵐三右衛門

 

 

水上勉の作品って暗くて怖い。この映画では原作を少し変えてますがこれもこれでなかなか良い。原作通りだと2時間越えは必死でしょう。

若尾文子の写真集の表紙に使われたのがこの作品の若尾文子。もう美しさ満開♡♡

若尾文子の写真集の若尾文子(文が変?w)

若尾文子・山下洵一郎

昭和のはじめ。福井の山村で竹細工職人だった父が亡くなり、21歳の喜助(山下洵一郎)がひとり残された。

そこへ芦原から来たという玉枝(若尾文子)が生前父にお世話になったと現れてお線香をあげて帰る。

 

年が明けて、竹細工を街の問屋へ売りに行った喜助は芦原まで足を延ばし、玉枝を訪ねる。彼女の名前しかしらない喜助に入った食堂の女は遊郭に行ってみたら?という。

客をひいている女に訪ねると花見屋という遊郭に玉枝がいるという。妹分のお光(中村玉緒)に玉枝の部屋へ案内されると玉枝はあの日以来身体の具合が悪いという。

部屋には見事な竹細工の人形が飾ってあり、玉枝はそれは喜助の父からもらったのだという。その細工は素晴らしく、喜助は思わず手に取って見惚れてしまう。

若尾文子・山下洵一郎

玉枝は19の年に島原へ出て、5年前に芦原へ来たという。

 

梅雨に入り、玉枝が気になる喜助はまた芦原を訪ねる。お光は玉枝は今、なじみ客と一緒だといい喜助は会うことができない。さらにその客が玉枝を身請けするかもしれないと訊くと喜助は身請けの金はいくらくらいかかるのだ?と訊くと150円くらいじゃないかというのだ。

身請けされて結婚するのかと訊く喜助の純情なところがよろしい。それに山下洵一郎という俳優さんも喜助の役にピッタリな感じ。

山下洵一郎・中村玉緒

喜助は150円を懐に入れまた玉枝を訪ねる。これで自由になって自分の村へ来て欲しいという喜助。玉枝は金は受け取らないが、父の命日までには返事してくれと約束して帰る。

夏・・・喜助の元へ玉枝がやってきた!

玉枝がきて喜ぶ喜助

美しい若尾文子

初夜の晩、喜助は寝床に入ろうとせず、玉枝がもってきた父が作ったような竹人形をつくるのだと言って結局寝床には来なかった・・・。そんな日がずっと続く。

ある日、街から問屋の旦那がやってきた。喜助の家にあった竹人形をみて見事な細工だといい京都の展覧会へ出すとなんと一等をもらった。表彰され、竹人形を美術工芸品として売りたいという京都の店主とも知り合い、喜助の家へその店の番頭を寄越すという。

 

早速京都から喜助の家へやってきた番頭の忠平(西村晃)。喜助は夜にならないと帰ってこず、玉枝ひとり家にいた。ところが忠平は玉枝が島原にいたころのなじみ客だった。用意した酒と肴で接待する玉枝に忠平は襲い掛かる!!!

 

何も知らない喜助だが、その後もずっと玉枝と寝床を一緒にすることはなかった。

ある晩そのわけを訊いた玉枝に自分の母親だと思っているのだと言ってしまう喜助。

面白くなくて喜助は芦原のお光を買おうとする。前に玉枝から喜助のことをきいていたお光は喜助の父は玉枝と何もなかった、来た時は私も一緒に3人で雑魚寝したんだから・・とウソを言うと喜助はつきものが落ちたように喜んで家まで夜通し歩いて帰る。

この時の中村玉緒の表情がよい。

 

朝方帰った喜助は玉枝を抱きしめて好きだと言うのだ。

ところが玉枝の具合がよくない。大きな病院で診てもらったほうがよいと喜助に送り出された玉枝はそこで妊娠が告げられる。忠平の子供だとすぐわかった玉枝。医者になんとか始末してくれないかと頼むが事情を知らない医者は大丈夫だからというだけだった。どうにかしなければと焦る玉枝は京都の忠平を訪ねて始末してくれる医者を知らないかというが、忠平はまた彼女を襲おうとする。

慌てて旅館を飛び出した玉枝は島原でやり手婆をしているおばさんを訪ねるが橋本へ行ったと言われる。渡し舟で橋本に行くがそこにもいなかった。

 

帰りの舟でどんどん具合が悪くなった玉枝は流産してしまい船頭(中村雁治郎)が始末してくれる。

この時の中村雁治郎、すでに総入れ歯だったのかもしれないがなんと入れ歯ナシ!で出演。監督の指示か?

若尾文子・中村雁治郎

最後は・・・怖い&哀しい。

山下洵一郎

若尾文子と共演した山下洵一郎という俳優さん、確か松竹の桑野みゆきと「恋とのれん」で出演してましたが、ネットで調べても画像すらでてこない。俳優は引退してしまったのだろうか。