日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

からゆきさん   1973年 今村昌平ドキュメンタリー映画

アップされていたのでみた。

「遥かなる日本人」という今村監督のエッセイ本をもっているが、その中に

棄民たち・・・という欄があって「からゆきさん」「未帰還兵を追って」というエッセイがあって、読んでいてなんだかわからないものもあったが、このドキュメンタリーをみて納得した。

この本に書かれていたことは、ドキュメンタリーを作るにあたっての事前調査のこと、映画に出演させる「からゆきさん」の人選までの経緯と映画での会話が全て載っているのだった。

 

主人公の善道キクヨは当時73歳。神戸のホテルで働けるというので知り合いと一緒にいったら、船に乗せられマレーシアに送られた。

キクヨの話、そしてキクヨが今村監督とマレーシアでまだ生きているからゆきさん3名を訪ねて話をする。しかし、この本によると、最初に紹介されて会ったからゆきさんは

80歳を超え、養老院に入っていて耳も遠く、話の要領も得なかった。

映画では、最後に会う3人目としてキクヨと話をするが、途中で日本語がでてこなくて

マレー語になったりする。

それをキクヨが訳して今村に伝える。今でいえば、からゆきさん、バイリンガルだ。

 

映画だと音声と彼女たちの訛り(長崎)がすごくて聞き取れなかったところがあるけれどこのエッセイ本を読めばなんて言っているか分かる仕組み(笑。

 

キクヨは最後に日本に帰国し、(その時はまだ一時帰国?)空港で支援者に迎えられる場面で終わる。

キクヨさん、どうなったんだろう?この映画にでている全ての人達ももう生きてはいないだろうけどと思ったら急に悲しくなった。

 

だけれどこのエッセイ本(1987年に書かれた)にはその後が載っていた。

キクヨさんは故郷の広島の元実家の跡地に家を建ててもらい、生活保護を受けながら

1977年に亡くなった。帰国後4年。不思議なことに(と今村監督は書いている)

キクヨさんの義理の息子でインド人の医学博士はキクヨさんが亡くなった日に彼の訃報がキクヨさん宛てに届いたという。