日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

川っ風野郎たち   1963年 日活

監督 若杉光夫 脚本 中島丈晴 

出演 和泉雅子 山内賢 松原智恵子 山内明 三崎千恵子 下元勉(写真のみ)

   信欣三 北林谷栄 高田敏江 南風洋子

 

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吉永小百合ときたら和泉雅子松原智恵子(笑。

 

貧乏物語?日活が吉永小百合キューポラであてて、その後非行少女へ続いた。

その流れで?この映画・・・なのか。

なんと、非行少女が1963年3月公開、そしてこの映画が4月公開・・・というすごいスケジュールな和泉雅子(笑。

 

昭和30年代後半、日本はまだまだ貧しかったのね。浦安の街が映っています。

貴重な映像です。

 

父に死なれた一家、母 三崎千恵子、その息子 兄 山内賢 妹 和泉雅子ともうひとり小学生の娘。浦安の川沿いのくたびれた家に住む一家は定時制高校に通いながら工場勤務の山内賢に一家の責任がのしかかってくる。 和泉雅子は高校へ行って将来はスチュワーデスになりたいと夢見るが、家族に反対され中卒で働かなければならないがデパートの就職試験を受けたが、片親の子供は働けないというデパートの規則で不合格となる。荒れた和泉雅子は兄の同級生と遊んだり、ジャズ歌手になるのだとオーデションを受けたりはたまた外国船に乗ってアメリカに行くのだと横浜港から大型船に乗るがなんとついた先は神戸の三宮・・・だったり。

 

山内賢は友人のすすめで父がやっていたさかなの行商を始める。

定時制高校の同級生には松原智恵子がいるが、彼女は街の顔役の家で働きながら学校へ通うが将来がないと飛び出し、パーマやで働くが、ある日道で会った山内賢に学校へ戻りたいと相談する。山内賢は彼女の元雇い主が学校へ通えないようにしているから無理だよという。この山内賢、喧嘩の仲裁などでも躊躇してしまう男で、全てにおいて優等生でないところが良かった。松原智恵子はそんなことはない、友達が助けてくれるというが、山内はみんな自分のことで精いっぱいだから無理だ・・・といい、喧嘩別れしてしまう。

 

「サムライの子」の監督らしいのでいい子ちゃんばかりではなく、和泉雅子も松原が兄に渡してくれといった手紙を渡さなかったり、ジャズ歌手になってお金を稼ぎ兄に行商をやめてもらうのだ!(夢)とかそれなりにおもしろい。

 

母役の三崎千恵子も貧乏所帯のおかみさんがぴったり(笑。

 

年末のHNKのお昼の番組に松原智恵子がゲストで出演したところをたまたま見た。

名古屋のお嬢さん育ちだそうだ。あの品のある喋り方は生まれつき(笑。

 

料理の献立をお手伝いさんに言って作ってもらっているというが司会の船越英一郎が昔の女優さんたちは料理などしなかった、自分の家も全てお手伝いが家のことをしていたと言った。稼ぎの凄さを物語る一言(笑。