日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

どっこい生きている 1951年 北星映画社 

監督 今井正 脚本 岩佐氏寿 平田兼三 今井正

出演 河原崎長十郎 河原崎しづ江 飯田蝶子 木村功 中村翫右衛門 河原崎労作

   岸旗江 河原崎国太郎

 

この映画の記事は2回目だと思います。最初に見たあと、思わずDVDを購入してしまった作品。今でも生活が大変だという方は多いですが、今とはレベルが違う。

主人公の毛利(河原崎長十郎)。毎日職安に通うが仕事にあぶれることも多い。家(と言っていいのか?)は立ち退きが迫られ、妻(河原崎しづ江)と子供二人を抱えて食うや食わずの毎日。

妻は家財道具を売って田舎の姉のところへ子供を連れて行くことになった。

ひとり残った毛利はニコヨン仲間の花村(中村翫右衛門)のいるドヤで寝泊まりすることに。

中村翫右衛門河原崎長十郎

ある日、電柱に旋盤工募集の張り紙をみつけ、徴用工で旋盤の経験のある毛利は雇ってもらえることになった。そこで、毛利は過去、おもちゃのプレス工場を営み職人を二人雇っていた親方であったことがわかる。不安定な日雇いから月給取りになれる毛利だが、ここで問題が・・。給料日までは金がない・・そこで恐る恐る雇い主に前借を申し出るが断られてしまう。そのやり取りを見ていた雇い主の女房が毛利の汚いなりと金に困っていることを案じて雇うのをやめろという。金を盗むかもしれないと言うのだ。

毛利は月給日までどうしようかと知り合いで毛利のことを心配してくれる若い水野(木村功)に相談すると、水野は頼りになるという秋山の婆ぁさん(飯田蝶子)とニコヨンで稼いでいる住人を集め、金を集める。毛利の月給日には必ず返すという条件で。

なんと400円以上集まった。(今の価値はどのくらい?)毛利はその金をもってドヤへ帰る。

ドヤでは博打に勝った花村から酒をおごってもらい、最初は断っていたが、一杯が2杯・・となり毛利はすっかりいい気分に。そのまま寝込んでしまい、なんと懐の金を盗まれてしまった。ドヤで騒ぐがどうにもならず・・・それでも雇ってくれた工場へ行くとなんと就職は断られてしまう。

吉田製作所の社長、瀬川菊之丞・その妻 川路夏子

仕方なく水野をまた訪ねるが、秋山の婆ぁさんに会う。そこで金を盗まれ、職にもありつけないと言うと婆ぁさん激怒!(笑。

それにしても飯田蝶子の歯・・・これ、わざとつけ歯?で歯並びと歯がないようにみせているのか?それとも本当に歯がないのか?謎。婆さん呼ばわりされているが、彼女まだ53,4歳なんだよね。今ならこんな役ってやる女優さんいないよね。それも50代で。

飯田蝶子

ドヤも金のない毛利は泊めてくれない。一晩中町をうろついた毛利だが、花村から誘われ高級?住宅の焼け跡から水道管を盗む。そこで見つかり追いかけられるが間一髪逃げ切った毛利だが、ドヤへ戻ると警察官が待っていた!

弱り目に祟り目、警察署へ行くと盗みの件ではなく、田舎へ行った妻がキセル乗車で捕まっていた。警察でしぼられ、開放されたが行く当てがない。しかし彼は家へ帰ろうと歩き出す。

河原崎しづ江河原崎長十郎

妻と子供二人でドヤへ戻った毛利。そこへ花村が帰ってきて手間賃だと金を渡される。

そしてまた仕事があると言われるが断った毛利はその金を全部使おうとドヤの個室を借り、子供たちに腹いっぱい食べさせる。翌日は遊園地へ行こうという毛利に妻はいぶかしる。お金があるなら渡してくださいというが毛利はこれ以上子供たちに辛い思いはさせたくないと死を決心していることを妻に打ち明けるが・・・

河原崎しづ江

子供たちと遊園地へ行き、一緒にブランコをこぐ毛利の顔をみて思わず涙。

終戦後6年の作品ですが、まだ焼け野原が残っていたり、バラックがある。上野駅周辺はもう復興している。貧富の差が激しい。

上野駅

河原崎長十郎・しづ江夫妻の息子が河原崎長一郎、河原崎次郎、河原崎健三。

健三はとにかく母親のしづ江そっくり♪

二男の河原崎次郎はこの作品で毛利の息子役で本名、労作で出演している。

映画の題名のように一家心中しようとした毛利だが、息子が遊園地の池におち、必死で助ける・・・そこでまた生きようと思ったのか、また職安に彼の姿をみる・・で終わる。

河原崎長十郎木村功

この映画で唯一女らしい、女、岸旗江(笑

岸旗江

舞台は南千住あたりでしょうか。隅田川?(当時はまだ荒川?)

にほんブログ村 映画ブログ 日本映画(邦画)へ
にほんブログ村