日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

岸辺のアルバム 1977年 TBS

昨日、YouTube上の4kでアップされていた「岸辺のアルバム 第1回・第2回」。記事のために写真をスクショしようとしたけど、見つからない(涙)。映像がキレイだったんですが、BANされたのか。かといって放映しているチャンネルに登録する気もないんでこれで「岸辺のアルバム」記事は終わり。

オープニングの家が流される映像が衝撃的なドラマで有名ですが、ちゃんと見たことがなく、初回・2回と見て続けてみたい!と思ったドラマですが。。。

私の最初の八千草薫のイメージはまさにこのドラマのような八千草薫ですが、彼女が若いころには意外に自由闊達な女性の役も演じていました。良妻賢母イメージな人ですが元祖略奪婚した女優さん。彼女の雰囲気・イメージでずいぶん特した人ですね。

八千草薫

初回では登場人物の紹介メイン。多摩川の土手そばに建つ家。専業主婦の田島則子(八千草薫)は商社に勤める夫の謙作(杉浦直樹)、上智大学に通う長女の律子(中田喜子)と大学受験を控えた長男、繁(国広富之)の4人で暮らしている。

夫の謙作は忙しく、毎晩帰りも遅い。まさに当時のモーレツ社員で元祖24時間働けますか?な男。長女の律子も大学の翻訳研究会に出席だといってほぼ一日家にいない。受験勉強中の繁は志望校に入れるか、どうか微妙な成績だが明るいのが取り柄。

日中、ずっとひとりでいる主婦の気持ちを代弁するようなセリフがあって当時は専業主婦が当たり前な世の中の女性には受けたと思う。

ただ現代からするとツッコミどころなのは、則子の家に最初は無言電話がかかってくるが、その後、声の主と電話でおしゃべりを楽しむようになるというところ。

固定電話、しかもナンバーディスプレイなんてなかった頃のダイヤル式にはうちもよく無言電話がかかってきた。覚えているのは夜、私が出ると、電話口から”はぁはぁ”といった息遣いが聞こえる。それが数日続いてたまたまソバにいた父にその声を聞かせようと手招きすると相手は何かを察したのか電話が切れ、それ以来かかってこなかった。

相手は私が一人暮らしだとでも思っていたのだろう。間違い電話も結構あった。

それにしても昔は異性が電話を繋いでもらうのって、まず、第一関門(両親・祖父母)を突破しなければならない。皆さん、お疲れさまでしたw. 今はそれぞれがスマホをもち、家族が一体どこの誰とコンタクトとっているのかわからない世の中になりました。

無言電話の主が最初に声を発したのは「アンケート」だといって則子に答えさせる。

夫や家のことを聞き、そらに週に何回S〇Xするか?という質問で則子はその男が無言電話の主であったことに気づく・・って設定なんだけど、その後も「お話したい」という男からの電話で会話する。ありえん!絶対ありえん!則子、変態だとおもわなかったのだろうか?しかもその男は則子をよく見かけるとかいって、駅のホームで青いワンピースを着ていただろうとか、スーパーで買い物していただろうとか言うのよ。気持ち悪すぎるって。

ま、そーじゃないとドラマが進行しないのはわかるけど(笑。

則子はなんだかその無言電話の主、北川と名乗る男からの電話を心待ちにするようになり、そしてとうとう二人は会うことになる、渋谷の南平台の喫茶店で待っていたのが竹脇無我・・ってところで2回目終了。竹脇無我、彼はホームドラマの常連で、小学生の頃、私は結構好きだった♡。ま、待っていたのが竹脇無我なら許せるが、今ならお話として成り立たないであろう。まず、番号非表示の電話には出ないし、+のついた海外からの番号も無視、さらに050から始まるIP電話も怪しさマックス、フリーダイヤルも登録してなければ出ない。登録してあっても営業電話だとわかれば出ない。ついでに突然来る人にインターホン押されても出ない。

宅急便のおにいさん、昔はヤマトか佐川の制服着てたけど今は私服の人も来るし、特にお中元、お歳暮の時期(あれって、突然来るから困るよね~、かと言って送ってくる人にも今年もお中元もらえるんですか?それ、いつ届きます?なんて聞けないし)はモニターを見て判断している。たまに宅急便の人かと思って玄関開けちゃう時があった。そいつも怪しかったけどもっと怖かったのが、数年前に「とにかく外に出て来てください」みたいなことを言う若い男性二人連れが来た時。言ってることも意味不明(外のインターネットの件で・・なにそれ?)で、「うちは結構です」と絶対にドアは開けなかった。当時、闇バイトの強盗が騒がれていた時でした。