日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

橋  1959年 松竹

監督 番匠義彰 脚本 柳井隆雄 原作 大佛次郎

出演 岡田茉莉子 笠智衆 大木実 石浜朗 須賀不二男 細川俊夫 福田公子

   渡辺文雄 水戸光子 磯野道子

 

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題名は「橋」だけど、橋はあんまり関係ない。

ただし冒頭、勝鬨橋と上空から撮った三吉橋はまだ川が流れていて貴重な映像だ。

 

元軍人の良平(笠智衆)は長女、敦子(福田公子)の夫、谷口(細川俊夫)と馬が合わず、今は明石町の元部下、中山(渡辺文雄)の世話で古い家に住んでいる。

 

そこへ次女の良子(岡田茉莉子)がバス停から歩いて来るところから映画が始まる。

同じバスに中山から家庭教師の口を紹介された松村三造(石浜朗)が中山の会社を訪ねるために前を歩いている良子に道を訊く。

 

三造は中山から老人の家庭教師だと言われる。住まいへ案内されると良平とその娘でさきほど会った良子がいた。

 

良子は姉の嫁ぎ先の谷口の家で暮らしているが、父とふたりでアパート暮らしをしたいとアパートを借り父と住むことにするが、勤め先の外資系の会社が突然神戸へ移転することになり職を失う。困った良子は元同僚で今は外国人あいてに車のブローカーをしている宮原(大木実)に相談に行くと宮原は英語に堪能な良子を雇い、早速大阪へ商談に。良子の評判は上々で大阪の商談もうまくいった。宮原は東京へ帰る前に奈良観光をしていこうと良子を誘うが東京でバーを営む女、おきく(水戸光子)が宮原を追って大阪へ来ていた。

宮坂はおきくに出資してもらい、経営者となったが良子を知ってから自分の生き方を変えたいと思うようになるがおきくは突然冷たくなった宮原を疑って大阪へ来たのだった。

おきくと付き合いで奈良へは行けなかった宮原は、良子に腕時計をお詫びだと贈る。

この時代、腕時計って高かったんだね。

 

一方、良子の父、良平は中山はじめ、元部下3名から大切にされ、彼らは将来清掃会社を設立して良平には社長になってもらおうという計画がある。

良平はそんなことは知らずに彼らに紹介してもらったある会社の受付として働きにでるのだが、そんな日、娘婿の谷口が社へ現れる。受付で仕事をする義父をみて、谷口は自分への当てつけですか?と不満を口にするのだ。

 

この谷口家、当時からしたらずいぶん裕福みたいだ。良平と違い、谷口は融通が利かないが決して悪い人間ではないような感じだった。(義理の妹や父の面倒をみてきたり、

良子が家を出るときは困ったら戻ってきなさいと言ったり)

ただ、映画では「かなりいやな男風」に描かれていたのがちょっとね。

 

良子は宮原との仕事が楽しく、会社は儲けをだす。

ある日宮原から誘われた熱海で、良子は宮原の求愛を受け結婚を決意するのだが

おきくという女の存在を三造から告げられ、自分で確かめに行くとおきくから

良子が受け取っていた給料も自分からでていたのだなどと言われそんな汚いお金はもらっていたくないと義兄の家になった三造からおくられた時価30万円はするという壺を売って金に換え、おきくに返しに行く。

そして宮原には結婚はできませんと断るのだ。宮原はおきくとのことをもっと早く言うべきだったと後悔し、謝るが良子の決心は変わらなかった。

 

アパートには三造が来ていた。良子から宮原との結婚は断ったときいた良平。

長女から壺のことを聞いていた良平は良子を打つが、三造に反論されなにも言えなくなってしまう。

良子は三造から宮原の行状を訊いた時に喧嘩したので二人は前のように仲良くなくなっていた。

三造はあわただしくアパートを後にすると三造が忘れたマフラーが・・・

良平は良子にまだ間に合うから渡せと言い、陸橋でおいついた良子はマフラーを三造に渡す・・・終わり・・・

 

成瀬映画みたいで結末がはっきりせずに終わるけど、三造も良子が好きだったが

良子の結婚を訊いて中山と飲み屋で愚痴を言い合う。中山も未亡人だとい女性と良平を通して知り合っていたが彼女には夫がおり妊娠していることがわかって失恋してしまっていたのだ。

酔って外へでると三造は宮原を目にする。彼はおきくと話をつけにおきくのバーへ行くのだった。それを目撃した三造が良子におきくと宮原の関係を暴露したのだ。

終わりのシーンまではなんだかんだ言いながら三造が結局良子と恋仲になるのか・・・と思ったけど、陸橋でマフラーを受け取ってそのまま行ってしまう三造だったので

まぁ納得(笑。

 

しつこいようだが「橋」らしい橋は物語には関係ないし、最後は陸橋で終わる。

陸橋といえどもまぁ橋だけどね。

 

スカパーより