監督 森永健次郎 脚本 鈴木政男
出演 山内賢 和泉雅子 東恵美子 初井言栄 高田敏江 奈良岡朋子 小夜福子
今、TBSで放送されている金曜ドラマ「不適切にもほどがある」を見始めました。
そのドラマを知ったのは日経新聞のコラムで、なんと1986年から2024年にタイムスリップした50歳の中学教師が過去と未来を行ったり来たりする物語。主演・阿部サダヲ。
80年代は普通であったことが今は非常識!であることに彼は混乱したり、激怒したりする。80年代を知っている私は面白いと思うけれど、少し過剰すぎな演出や突然始まるミュージカル?にはちょっと引きます(笑。
すでに知った時は初回、第2回の放送は終わっていましたが、今は「Tver」という心強い味方があります!なんていい時代なんでしょう♪
U-NEXTを契約している方も見れるようです。
と、同時にBS TBSで山田太一の「想いでづくり」が再放送されており、しかし気づいたのが第10話から。昨日(2月9日 金)で最終回の第14話でした。これまで見たことはなかったのですが当時21歳だった私は主人公である24歳という女性達の、女の幸せは結婚すること、結婚適齢期、クリスマスケーキ(女性は24歳までに結婚しろ、25歳になったらクリスマスケーキのように価値がなくなるという意味)などと言われていたあの嫌な、それでいて焦る気持ちも解るし、親の気持ちも解り、引き込まれるように見てしまいました。
三人の女性が親や周囲のプレッシャーに抵抗していく様子、当時の男性の横暴さ加減は実感があります(^^♪。
そーいえば、友人から来た私が25歳になる年の年賀状に「まだ結婚しないの?」と一言書かれていたあの言葉は今でも忘れられない(爆。世間が若い女性も含めて25歳で独身であることがオカシイ!という世の中だったわけです。私にそう書いた友人は21歳で結婚してすでに一児の母。私より1歳年上でした。もちろん専業主婦です。今、25歳の女性に「まだ結婚しないの?」なんてこと言ったら、それこそ「変な人」なわけで、世の中の常識なんて変わってしまうのだから、世間の常識を気にして生きていくのも考えものですね。
で、「想いでづくり」。10話から13話は面白かったんですが、最終回、結局みんなバタバタをと24歳で結婚してめでたしめでたし・・・結局そこか!と残念でした。
あの山田太一の脚本であってもそういう終わり方なのだから、当時の社会的な圧力は凄かったわけです(笑。
ドラマの三人娘のひとり、森昌子ってなかなかでビックリ。古手川祐子、田中裕子に負けていない演技力でした。
これらふたつの80年代のドラマで共通していたのが、男性はみんなやたらとタバコを吸っていたこと(笑。
「不適格にもほどがある」の阿部サダヲにいたっては都営バス車内でもタバコ吸ってましたが、さすがに当時でもバス車内でたばこなんて吸えなかった気がします。
観光バスならいざ知らず、都営バスのシートに灰皿なんて全く記憶にない。
さらに教室内でもタバコ吸う教師?っていくらドラマであってもやり過ぎでは?と思います。ケツバットは(多分)あったのかと思いますけど。
思わず語ってしまいました(;^_^A
「交換日記」は高校三年生の虹子(和泉雅子)と同級生で大学受験を控えた啓介(山内賢)がお互いの気持ちを日記という形でノートに書き、下駄箱にいれておいて読みあうという題名通りの作品。
なんとホームルームで男女の交際と風紀の討論が行われるという今なら卒倒必死な物語(笑。
虹子の家は大工の父親がケガをして入院するがその入院費を工面するために男子同級生の母親、清子(東恵美子)のファッションショーへ虹子がモデルとして参加。その夜、慰労会で訪れた料亭で少しお酒を飲んだ虹子は酔ってしまい、清子のパトロンの谷村(嵯峨善兵)に抱きかかえながら彼の車に乗るところを女子同級生に目撃されてしまう。車内には清子も乗っており、全く不純なことはなかったのだが・・・。
当時の高校生の親に対する反発とか、男女交際とか、はたまた家出とかいろいろあるが
これと言った重大事件はない。不思議だったのは同級生と家出した啓介が京都から一文なしでどーやって汽車に乗って帰れたのか?。警察に保護されてその時お金を借りたのか?誰から?(笑。しかも警察では家出は不問になったような・・・。
多感な彼らの問題をたくさん扱っているのでもう少し絞って欲しかった。
ところで文枝という虹子の同級生は「キューポラのある街」にも出演した鈴木光子という人だ、日活作品に数本出演したようだが(サムライの子 キューポラ、交換日記、青い山脈)その後が不明。気になる女優さんです。
男子を集めて持ち物検査する大野先生(庄司永健)。この方、時代劇でもよく見た顔です。
そしてなんだか懐かしい昭和38年横浜の街並み。こういう場所が見れるのも古い邦画が好きな理由のひとつ。
京都へ行った家出少年2人。
なんと嵐山の渡月橋そばの川面にはたくさんのボートが係留されている。
昔はここからボートに乗れたんだ。