日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

夢に見た日々 第8話 下町レストラン 1989年12月7日 テレビ朝日

演出 北島隆 作 山田太一

出演 千葉真一 桃井かおり 佐野量子 坂上忍 三崎千恵子 中島唱子 なぎら健壱  すまけい 照本一代

第7話↓

nihoneiga1920-1960.hatenablog.com

なぎら健壱桃井かおり

 

テレビ局の取材を受けることが決まり、テラスのみんなはこれで夜の営業もうまくいくと喜んでいるが、シェフは自分の出す料理に自信がない、せめて3か月後に取材を受けてくれという。取材日は2日後と約束した洋子や慎作はシェフの料理は美味しいし、2日後の日程で取材を受けて欲しいと懇願するが、シェフは承知しない。そこで洋子がその日だけ、フランス料理店からコックさんに来てもらい、ごまかそう・・・と言うとシェフは逆に怒りだしてまだ営業中だというのに店を飛び出してしまう。

 

慌ててシェフのアパートへ行く洋子とおばちゃん。しかしシェフは帰っておらず、仲居をしている出勤前のシェフの妻がいただけだった。彼女も彼がどこに行っているのか心当たりがないという。

シェフの奥さん

 

日が暮れて、多恵子がマンションでくつろいでいると、電話がかかってきた。シェフだった。テラスのみんなに嫌なことを言った多恵子はシェフからの思いがけない電話に驚く。どうも酔っているようだ。まだテラスの営業中の時間。あんな店辞めるんだというシェフに多恵子は慌てて彼がいるという焼き鳥屋へ行き、彼を彼女のマンションへ連れて行き、話を聞く。

自分の作る料理はまだ納得いっていない、せめて3か月あればもっとマシなものが作れる、その時まで取材は受けたくないが、洋子はその日だけ別のコックに料理を作ってもらおうと言っている・・・。それを聞いて多恵子はそんな店、辞めちゃえという。

シェフは自分の過去を語りだす。ずっと一緒だった同級生と高校卒業後、ホテルに就職した。ところがそのホテルのシェフから目の仇にされ、イジメぬかれた。最後は我慢できずにそのシェフを殴って1年半でホテルを辞めたという。同級生はなぜかそのシェフに可愛がられ、いまでは結構有名になったという。だから彼に負けないような料理をだしたい、それには3か月は必要なのだと訴える。

多恵子はそれを聞いて、そもそもこれまでカレーやナポリタンしか作ってこなかったあなたがずっとフランス料理を作ってきた同級生に張り合うほうがオカシイ。テラスの資金ぐりを考えても3か月待っていたら、お客が来るまでにお金がたりなくなってしまう。彼らは必死だからもうコックを手配してるかもしれない・・・

それを聞いてシェフは「もうちょっと優しい言い方があるんじゃないか?」と言いながら多恵子のマンションを後にする。そして店に戻る。おどおどしながら、もうコックは頼んだのか?テレビ局に3か月後にしてくれと言ってしまったのか?と訊くとまだだと言われ、ほっとした顔をして2日後の取材のための料理にとりかかるのだった。

取材の日、シェフはインタビューで「安くて美味くてたっぷりある、来た人みんながちょっと得したなぁとか、穴場だなと思うような下町らしいレストランにしたい」と緊張気味に言うのだった。


おばちゃん、松江を気に入って来てくれていた工事現場で働く男、大塚(すまけい)。

彼は岐阜の工事へ行くという。取材の日の夜に東京を離れるが、その前に一度、松江とデートしたいというが、松江は忙しいからと断るつもりであった・・・。

しかし、早川が松江にデートへ行くことをすすめ・・・二人は観音様へ。

すまけい・三崎千恵子

 

その後、居酒屋へ入ったふたり。大塚は好きだった未亡人に似ている松江とデートできて幸せだという。松江から彼女の亭主は外に女がいるという話をきいた大塚だが、あなたはいいおかみさんだからきっとご主人は戻ってきますよといってそっと手を出す。なんだろう?という顔をする松江に大塚は「握手」と一言。このシーン、ちょっと涙でた(笑。

 

取材から6日後。テレビ放映されることとなった。洋子は多恵子に知らせようか躊躇したが、結局放送日当日の夜に電話した。留守番電話になっており、伝言を残した。

多恵子はその番組を録画して何度もうなずきながら見るのだった。

 

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