日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

高峰秀子の反骨   河出書房新社  2020年4月初版

大型書店で買おうと思っていたけれど、最近、散歩がてら行く商店街の街の本屋さんで見かけて思わず買ってしまった(笑。

 

反骨なエッセイや講演をまとめた本。写真はない。

まず構成がよかった。

 

私の生いたち 娘・妻・母 と題する講演会で高峰が喋った内容から始まる。61歳。

何の講演なのかが不明だが、「娘・妻・母」とあるからその映画の上映会?で高峰が出席して話したのか?

とにかくしゃべりがおもしろい。内容は生い立ちから始まり、夫ドッコイのことなど、高峰本を読んでいればそんな目新しいないようではないが、高峰の喋りに引き込まれ笑ってしまうこと多し。

 

次に市川崑東京オリンピック映画の成り行き。わたしはアタマにきた 40歳。で、高峰が市川の援護射撃をしたのは知っていたが、どんな内容だったのか知らなかったのでこれですっきりした(笑。

 

そして衆議院逓信委員会放送に関する小委員会全発言 46歳。昭和46年2月10日に参考人として意見を述べている。

この中でハレンチ学園の話が少しでてきて、小学生だった私、ハレンチ学園はよーく覚えている。スカートめくりが流行った。私もよくめくられた(笑。

もちろんドラマもみた。当時はそんなに問題だったのだとは小学生だったので知らなかった。

 

初めて読むエッセイや雑誌のインタビュー記事ばかりで、各 高峰のその時の年齢が記載されているのも良い。60歳代はぐっと少なく、75歳が最後で締めくくられている。

 

あとがきで斎藤明美氏が あなたはどう思いますか?と聞いてくる。

(はがきは入っていないが 笑)

高峰は芸能界の三大いじわる婆さんだから気をつけろとか怖いでしょ?とか言われたらしい。それについて「どう思うか?いじわるで怖い人ですか?」という事らしい。

そう斎藤氏に言った人達は高峰の書物は読んでないらしい。

読んだことのある人達に聞いている。

 

岸惠子私の履歴書で、デビューが「我が家は楽し」だったが、学校の教科書を撮影所で読んでいたら、高峰が「撮影所では台本以外読んではいけない」と注意され、高峰さんはこわかったと書いていた。

だから岸惠子の怖かった人=高峰秀子なのは確かだ(笑。