日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

おじさん、おばさんの哀しみ

おばさんになると、特に元気なおばさんには世の中、誰も親切してくれない(笑。

 

 巣鴨でインタビューされたおばさん、おばぁさんが、「昔は(これでも)美人だったのよ」みたいなこと言う人がいるが、今なら激しく納得する(笑。

 

古い日本映画を見ても、この人、若い頃こんなに美人だったんだ!こんなに美男子だったんだと思うことしばし。

 

さて、これは映画ではなく、ふと浮かんだ昔の話。

80年代半ば。まさにバブル到来していたが、若かった私はそうだったっけ?くらい。逆にお給料は少ないのにモノの値段が高かった記憶しかない。

ユニクロもないし(笑。

 

当時私は中型二輪の免許を取って250㏄のホンダのバイクを買った。それより前に車の免許と車は持っていた。車の運転は大好きで、首都高一周なんか真夜中にやった(と言ってもひとりこっそりですよ)

その頃、女性ライダーが流行って女性ライダー専門の雑誌があったのだ。

それに誘発され、さらに今バイクの免許を取っておかないとこの先取れないだろうなぁというのもあった。

ところが、先に車に乗っていたので二輪車に乗るのが怖くて仕方がない。車の運転って、鼻ほじりながら、缶コーヒー飲みながら、片手で・・・適当に運転してたりするから二輪を運転するほど真剣じゃない・・・路肩すり抜けしたり、車の左側を走ったりしている時、その車が急にハンドルを切ったら・・・なんて考えてるから本当に恐怖で

風を切って爽快に走る!など程遠かった(;^_^A

夜中なら安全かもと考えて都内を走ったりしたが、ある夜、東京タワー近くの赤羽橋で私のバイクに気づかない前方のタクシーが手をあげた客を拾おうと突如ブレーキを踏んで追突寸前!だったが(後輪はロックしてました)すぐ横を走っていた別のタクシーがそれに気づいてクラクションを鳴らしてくれて止ろうとしたタクシーが乗車拒否して止まらずに行ってくれたので追突回避!なんてことがあった。

あの瞬間は怖かった・・・なにせ止まらないオートバイ、止ろうとするタクシーのトランクが迫る!後輪が「カンカン」とロックしている音がする・・幸い握力がなかったので前輪ロックまではいかなかったので転ぶこともなかったけれど、握力のある男性だったら前輪ロックで自損事故・・・だったかもしれない。

 

これではいかんと当時(今でもあるのか?)桶川でホンダがスクールを開催していたところに数回通ったことがある。

日曜日の朝から夕方までの丸一日、8千円か一万円?くらい払ってスラロームやったりする400㏄のバイクのコース、特殊なバイクで崖を上ったりするコースなんかもあった。講習が終わった帰り道、自分のバイクで帰るときはバイクの乗り方が上達しているのが実感してわかった。なんていうかバイクと自分が一体化している・・・みたいな。

桶川の駅から送迎がついて、電車で来る人にも便利だった。

お金は払ってはいるが、ホンダの持ち出しがかなり多いと思う。

今でいう企業の社会的責任において二輪車の乗り方を教えてくれるというありがたいものだった。勿論バイクはホンダのCB400を貸してくれる。おまけに最新のバイクにまたがった写真を撮ってくれて後日額にいれて送ってくれる・・さらにお昼御飯が素晴らしくおいしかったし、お代わり自由(笑。

数回行くと顔なじみもできて2人?くらい同じ年ごろの女友達ができた。

その彼女と連絡を取ってまた桶川で会って講習を受けるなんてことをやっていた。

もちろん男性も来る。

その中にやはり2,3度顔を合わせたことのあるおじさんがいた。

そのおじさんが講習で颯爽とバイクを走らせていたかなんてことは記憶にない。

なぜなら、自分のことで精いっぱいなくらいのヘッピリ運転だったから((;^ω^)

 

帰りも桶川駅までマイクロバスで送ってもらうので同じ講習を受けた人はやはり同じ電車に乗ることになる。そのおじさんも東京方面の電車に乗るので私たちと一緒だった。

二言三言話したのかもしれないが、記憶にあるのは彼はいつも帰りの電車内でワンカップの日本酒を飲むのだった。

若さゆえ(笑、おじさんてやぁねぇ・・・と内心思っていた(もちろんそんなことは口には出しませんが)

 

私は虎ノ門の会社に当時勤めていて、よくお昼に日比谷公園でお弁当を食べた。

なにせ外食は今のように安いランチもなく、しかも場所は虎ノ門、お弁当を買って食べるのが一番安上がりだった。

ある日、日比谷公園のベンチでお弁当をひとり食べていたら、

Tさん?と声をかけられた。背広を着た結構素敵な中年男性だったが、私は誰だかさっぱりわからず、、、なんでこの知らない人が私の名前をしっているのだろう????と思ったがその男性はなんと桶川のあのワンカップおじさんだったのだ(笑。

 

その後、日比谷公園内(確か・・)の喫茶店に行った。そこで出された名刺。

なんと誰でも知っている世界のニュースを配信する超有名なK通信の人だった。

そして彼の奥さんが南米の人だということもお喋りの中で知った。

びびびびっくり(笑。

 

桶川で見た時は冬だったし、オートバイに乗るので地味なジャンバーみたいなのを着ているところしか知らない。その上オートバイってヘルメットかぶるから髪がぺったんこになるんだよね・・。見栄えがますます悪くなるのよ・・・若くても年取ってても。

それがどうだ・・背広にネクタイ、しかもK通信!その上奥さんが南米の(国名も言ったが私は忘れた 笑)人なら、英語とかスペイン語とか堪能だよねぇ・・・特派員かなんかで行ったんだから・・・。

そしてお互いの電話番号を交換し、お昼休みも終わる寸前で私は慌てて席を立った。

コーヒーご馳走様(って遅いか)。

 

その後しばらく経ってその人から電話があった。別にたいした用ではなかった記憶。

当時私は(多分このまま結婚するのではないか)という人がいたので何気なくそのことを言ったら、電話をかけたことを謝られた。

その時は別になんとも思わなかったが、私が電話をかけられるのが迷惑だと取られたのかもしれない・それ以降連絡がくることもなかったし私は別に迷惑ともなんとも思っていなかったが連絡するほどのこともなかったのでそのままで現在に至っている。

 

なんかいい人だったんだけど(でも恋愛感情など全くない)。

自慢できるような会社にいるけど自慢しなかったあのワンカップおじさんの奥ゆかしさっていいよね♪♪

その人も私をどうこう・・というのではなかったと思う。彼としてはオートバイ仲間・・みたいな感じじゃなかったのだろうか。だから私もツーリングとか誘ってあげればよかったな・・と今思う。(遅いけど)

もらった名刺もとっくのとうにどこかへいき、名前すら覚えてい。顔もよく覚えていないが日比谷公園で偶然に会ったことだけは鮮明に覚えている。

彼は今どうしているだろう・・・でも死んでるかも((;^_^A。

 

そんな私も彼の当時の年をゆうに超え(笑、おばさんの哀しさを感じる時があるのです。