日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

扉を開く女  1946年 大映

監督 木村恵吾 脚本 依田義賢

出演 水谷八重子 月形龍之介 月丘夢路 小柴幹治 毛利菊枝 羅門光三郎

 

撮影が宮川一夫だ。水谷八重子ってどんな役でも全く同じ喋り方。月形龍之介はまるで

勘三郎みたいなセリフ回しだった(笑。

 

明治13年ごろ、栗崎菊栄(水谷八重子)は裁縫の師匠として横浜?の長屋でひとり暮らしている。彼女はもとは御典医の家に生まれた。彼女は足軽の息子で書生をしていた高野(月形龍之介)と恋に落ちたが、家が許さず、気の進まない結婚をしたが明治になって彼女の夫は酒浸りとなり、亡くなった。その後実家に戻ったが両親もなくなって家も没落した。

 

同じ長屋の隣に住む娘のお絹(月丘夢路)は夜な夜な飲み屋で月琴で歌って母(毛利菊枝)と暮らしているが、彼女にはとある家の馬車の運転手をしながら司法試験をうけて弁護士を目指している信吉(小柴幹治)という恋人がいる。

将来は一緒になろうと誓うがある日、信吉のいる家の養子になるという話が持ち上がった。田舎からでてきた父親は大喜びだったが、信吉がお絹という月琴をひく芸人と一緒になりたいのだというとつり合いがとれないと反対され、彼は尊敬する内藤先生(羅門光三郎)へ相談に行く。自由主義をうたう先生だが信吉には断りもなくお絹の家へ行って信吉が本当に好きなら信吉の将来のためにあきらめろなどという。

 

お絹と信吉はふたりでどこかへ行こうと駅で待ち合わせをしていたが、彼女は内藤先生の訪問もあって現れない。そこへ車引きの男が手紙を持ってきた。

お絹は死ぬ気で長屋をでたのだ。

 

そこへ巡査が現れ、お絹を保護したという。慌てて駆け付けた信吉と菊栄。

 

ことの次第を知った菊栄は信吉の養子先の主人へ直談判へ行く。

なんとその家の主人は高野であった。

高野は芸人とは一緒にさせられないと菊栄に冷たく言い放つが、菊栄は私たちが一緒になれなかったのも身分が違うという封建主義のためだった、同じ思いを若い二人にはさせたくない、あなただってそう思うでしょう・・というと

なんと、高野はあっさり承諾(え?

 

庭にいるという二人に知らせようと2階の応接室の窓を開ける菊栄・・・

明治という時代に身分制度などにトラワレナイ扉を開けた菊栄がこの窓を開けるということで表現されている・・・ような。

 

終わり方がやけにあっさりでちょっと拍子抜け♪

水谷八重子は1905年生まれで当時45歳くらいだが、回想シーンの娘時代はさすがに老けてないか?(笑。

 

小柴幹治と月丘夢路