日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

新川から都バスを乗り継いで家に帰った話

これ、邦画の題名ではなく、私のことです(笑。

実は免許更新で久々に東陽町の江東運転試験場へ行きました。5年ぶりですがさすがにセンター内はまごまごしないようになっており、順番通りに行けばなんなく更新は終わります。前夜から更新後、洲崎を通って深川まで歩いてみようとワクワクしていました。最初は洲崎大門通りを目指そうと思っていましたが風が心地よかったので川風にあたろうと汐浜運河を渡って大回りして洲崎へ・・・途中行き先を変えそのまま運河沿いを深川方面へ行って、越中島古石場、牡丹町あたりの橋を渡って門前仲町まででました。その後、相生橋を渡って月島へと思っていたのですが、もういちど永代橋を渡ってみたくなりそのまま永代橋へ。カンカン照りの快晴でしたが、免許の写真撮影を考えて帽子はかぶってこなかったし、荷物になるので持っていもいない。

しばらく永代橋でたたずみ、中央区側で一休み。ここまでですでに5000歩以上は歩いていて疲れたので東京駅丸の内北口行きのバスで終点まで。途中、日本橋を過ぎるあたりから建っているビルのお金の掛かり方に圧倒され、八重洲口の駅前には東京トーチという三菱のビルが建設中。東京駅付近はものすごい人だ。丸の内北口につくと家の方へ向かうバスがちょうど到着しており、東京駅から地下鉄で帰ろうと思っていたのを変更し、そのバスへ乗る。普段、車に乗らない私はバスの車窓から見る東京の景色は新鮮です。丸の内や大手町を通るバスの運転手は若い女性だった。彼女はなかなか「責める運転」で飛ばしまくり。平日の午後とあって車内は空いていたが、座れなかったら揺れがすごくて怖いかと思うくらいな爆走っぷり(笑。あれ、性格でしょうかね。

しかしそのバスも直接住んでいる町へ行くわけではないので途中で停まるJRの駅前で降りるつもりであったが、ここでハタと気が付いた。その駅を過ぎると2つ目の停留所は大きな道路を渡ったところにある。同じ停留所名で大きな通り沿いのバス路線、それこそ住んでいる町の駅が終点のバスがあるのだ。

そこで最後のバスに乗り変えるため降車すると、同じバスに乗ってきた高齢男性が同じ停留所方面へ行くではないか。彼は腕時計を気にしながら足早に横断歩道を渡った。

私より先に停留所の時刻表を見ていたので後から行った私がいつくるのか話しかけてみたら以外にフレンドリーに回答してくれ、そこから世間話。彼も降りる時に私の姿を見たらしく、私たちが乗ってきたあのバスは30分に一本しかこないのだという。

東京駅に着いたらあのバスが停まっていたので乗ったという話をした私はラッキーだったのだ(笑。彼がどこから乗ったか記憶にないが、行くところは家から近いけれどバスに2度乗り変えないといけないという。時間がかかるのだ。

彼はそこから2停留所で降りていった。彼の降り際、私は「さようなら」と言ってもうこの人と会うことはないだろうとなんか哀しくなった。数年前にやはり小岩の菖蒲園にいた女性とおしゃべりして別れる時もそう思った。

若い頃は一ミリもそんなことは考えもしなかったけれど、一度だけ言葉を交わしてそのまま会わない人は多いですね。

最近ではますます人と会わなくなってます(;'∀')

なんだかんだで歩いた本日の歩数 13,950歩

久しぶりの永代橋中央区側をのぞむ

 

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