日本映画1920-1960年代の備忘録

1920年代の無声映画から1960年代前半の日本映画

紅扇  1952年 松竹

監督 原研吉 脚本 田中澄江 

出演 木暮実千代 市川春代 磯野道子 吉川満子 十朱久雄 高橋貞二

   森川まさみ

 

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衛星劇場より

芸者もの。木暮実千代がなんとも色っぽい。芸者の物語だから女性陣が多い。

 

新橋で置屋を営む菊奴は踊りの名妓。将来は文江(磯野道子)というお抱え芸者を養女に迎えようと思っているが文江は雑誌記者の瀬木(高橋貞二)の子供を身ごもっていることを知る。菊奴は子供は諦めるように反対するのだがそれには菊奴の過去が影響している。

今は銀座の料理屋の女将におさまっている同じ芸者だった春子(市川春代)と神楽坂から出ていた時、山川という実業家との間に女の子の百合子を生んだ菊奴。当時18歳。

しかし山川の妻から手切れ金を渡され、娘も取られてしまう。置屋の女将から芸者が子どもを育てることなど無理だと言われ、一度は納得したがどうしても娘のことが忘れられない。菊奴は神楽坂から鞍替えして場末の芸者として稼ぐのだった。

 

戦時中、疎開で空いた新橋の置屋を貯めた金で購入した菊奴。戦後は置屋の女将として芸者3人を抱えている。

それまでに数回、麻布の山川邸を訪れたことがあったが空襲で邸宅は消失し、山川は行方が知れない。菊奴は娘も空襲で死んだと思っていた。

 

そんな菊奴に春子の夫が戯曲を書いたから踊ってほしいと頼まれるがそれは幼い子を失くし、気が狂った母親の踊りであることで菊奴は躊躇するのだ。

 

ある日、女学生3人からサインして欲しいと声をかけられた菊奴。その女学生の一人は菊奴が残してきた百合子だった・・・。今は母とふたり馬込のアパートで暮らしている。山川は空襲で亡く、母の森川まさみは麻布の土地を売りに出している。その土地を購入したのが安田(十朱久雄)という関西の実業家で、彼は菊奴に熱を上げている男だ。山川の麻布の土地を安く手に入れた安田はお礼にと山川母子を春子の料理屋で接待することを聞いた菊奴。やはりあの時の女学生が百合子だとその座敷へ挨拶へ。

現れた女があの時の芸者だと気づいた山川の妻、森川まさみは百合子を促して座敷を後にする。

 

そのあとを追ってアパートへ先回りした菊奴。事情を知らない百合子は憧れの芸者さんが来たと喜ぶが・・・

 

山川の妻に百合子を引き取りたいと申し出る菊奴になんと妻は今の状態では百合子はお金のある菊奴に引き取られたほうがよいという。しかし自分の父親が二人の女をもっていたと百合子が知ると傷つけることになるからそのことは秘密にしてあくまで自分が母親であるとしてもらいたい・・と菊奴に告げると、菊奴は妻を誤解していたことに気づき、百合子を引き取るのは諦め百合子にかかるお金は陰ながら協力を惜しまないと言って料理屋を後にする。

 

置屋では失業してしまった瀬木のことを思い、今子供を産むと彼の負担にしかならない、やはりおかあさんの言うとおりに子供は始末しますという文江に菊奴は産んだほうがよい、あんたの借金は棒引きにしてあげるからもう芸者などやめろ、自分も置屋をやめるという菊奴だった。

そして舞台で「すみだ川」を踊る菊奴の姿・・・。

みたいな芸者の母もの。

 

多少つっこみどころがあってこういう昔の母ものってどうも抵抗はあるけれど

当時の新橋演舞場が拝めます。そして多分埋め立て前のコリドー街近辺。山川の邸宅跡広大な焼け跡って50年代初頭でもまだ敗戦感漂うところが新鮮(というか)。「朝の波紋」なんかもそんな場所がでてくる。

 

森川まさみはいつもお金持ちでわがままなお嬢さん役だったけれどこの映画では最初はやはりお金持ちの奥様、しかし戦争で財産がなくなりアパートに暮らす夫人役って初めてみたような・・・。彼女の生年月日やその後がわからない。入江たか子の映画では必ずといっていいほどでていた女優さん・・というイメージだ。

 

娘の百合子役が小園蓉子なんだけど、女学生姿の若い小園蓉子は2回みた。ひとつは

やはり1952年の「鳩」そしてこの映画。

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日経新聞より 小園蓉子岸惠子

ところで木暮実千代って人は芸者姿も良いがいいところの奥様役もピタリとはまり、さらに悪女役もよくってさらにいい人もできちゃう私からすれば山田五十鈴レベルな女優さんだと最近思うようになった。一番印象的なのはやはり溝口健司の「祇園囃子」

いつだったか若尾文子溝口健二監督が「色っぽいだろう」と木暮実千代のことを言い、自分は「おいそこの子供!」と呼ばれたと言っていた(笑。